| 演目 | 劇団・プロデュース | 場所 | 日時 |
カメレオン・リップス |
文化村シアターコクーンプロデュース | シアターコクーン | 2004年2月11日ソワレ |
作・演出 ケラリーノ・サンドロビッチ
出演
堤真一・深津絵里・生瀬勝久・犬山イヌコ・山崎一
余貴美子・木村悟・林田麻里
劇評
ケラリーノサンドロビッチ(以下ケラ)の作品には
ある種の閉鎖社会のイメージのようなものがあらかじめ作者にあって
時間の経過をいくつかに区切る中で
その社会に仕掛けた時限爆弾を爆発させては
すこしずつ外の壁を崩壊させていくような手法が時々見受けられる
崩壊した造形の内側には
危うさをふくんだ慰安や安定が置かれていることが多い
彼のいくつかの作品で感じた慰安を今回も色濃く見たのは
ひとつには同様の手法が使われていたからではないかと思う
今回の作品、カメレオンリップスにおいても
うそで貫く真実という一見矛盾した土台の上に飾られた人間関係のコアを
ケラはまるで満艦飾のケーキの
デコレーションを剥がしてベースのスポンジを露出させるようなやり方で
鮮やかに舞台上に具現化させることに成功した
この作品の登場人物はそれぞれに自分の事情にそって
うそをつく
おろかな嘘もあり、欲に駆られた嘘もあり
真実を告げるための嘘もある
また、人形に語りかけるように虚構をもって自分を騙す姿があり
眼科医のように真実をそのまま言葉にするものは
制裁さえ受ける
プレーンな真実がまるでプリズムを通る光のように
役ごとにゆがめられ何かが付け加えられ
あるいは隠され、中途半端に露出していく
この作品の役者達の優れたところは
それぞれの嘘が彼らが演じる役柄にとって真実であること の表裏一体を
見事に演じ切った点にある
犬山イヌコはぬいぐるみに語りかける姿のなかで
自らが語ることができない事実やいらだちを表現した
生瀬勝久は、屋敷を乗っ取るために嘘を構築し
山崎一は自らが警察官であることを隠し
病院を脱走した深津絵里を捜査する
余貴美子は欲にかられて自らを化粧品会社社長に仕立て上げ
堤真一は家を守るために嘘をつく
真実のみを語った眼科医の木村と次々を傷を深める林田も
主人公たちのなかで捨石とされる姿をしっかりと演じ上げる
このしっかりした演技に支えられて
嘘は真実を土台として存在していることを観客は認識することができる
嘘が真実を隠すものならば
嘘の中にある真実はまるで嘘をついた人間の事情などわきまえずに
自らの存在を主張する
嘘となじまない現実が登場人物の世界に訪れると
次々にカタストロフがふりかかる
林田演じる女性は現実とのつながりがあるゆえに病み
おまけに撃たれ
眼科医は現実を指摘するだけで生瀬の演じる男性からの暴力を受ける
一方で生瀬が演じる男性も現実との遭遇に
嘘の世界を放棄して悲劇に巻き込まれる、
脳腫瘍に耳が聞こえなくなっている妻のために医者を探そうとすると
犬山演じる妻はころころと色を変えるカメレオンをえさにする熱帯魚を噛み切り
最後には撃たれて死んでしまう
そもそも、ケラの作った閉鎖社会が嘘の世界なのだから
それぞれの真実が自らの嘘を押しのけたときに
閉鎖社会の嘘と彼ら自身の真実の折り合いが断ち切られてしまうということなのかもしれない
実際ケラの社会は妙なリアリティで飾り立てられていても
どこか現実離れしている
近い表現をすれば夢の世界のようにも思える
道具立ての微妙な非現実さも夢の中にはリアリティを伴う
トイレの見つからない家、派生して生瀬の長い長いおしっこ・・・
ももちゃんという犬
あるいはカメレオンを喰らう熱帯魚が暗示するもの・・
シュールな滑稽さの中でしか表現できないなにかが
舞台上の嘘をまるでやわらかいブラシのように刺激して
舞台上の隅々にまでしみこんでいく
嘘のなかで流れる時間
乾いた笑いと慰安、暴力・・・
観客は知らず知らずのうちに嘘が現実を隠すのではなく
嘘を現実に置き換えた社会に取り込まれ真実を異物としてながめるようにすらなる
最後にさまざまな光で照らされていた造形の内包する真実が明るみに出る
仮面を脱ぎ捨てて警察官となった山崎演じる男の科白は
素の光の下に閉鎖社会の真の容貌を浮かび上がらせる
それはすこしセピアがかかった史実のように
観客に乾いた納得を与え
嘘と現実を分離させる
うその世界、閉鎖社会の社会の内側の結末は
嘘を貫き通したものにおとずれる世界
雷鳴すらとどろく嵐の中で
記憶喪失の姉と姉の嘘に取り込まれ通した弟の抱擁は、
あるいはずぶぬれではしゃぐふたりは
ピュアで危うく甘美ですらある・・・・
閉鎖社会の表と裏・・・
その裏表が晒されるための必然として3時間の上演時間が
ゆっくりと消えうせて
粒子のように緻密な空気が劇場全体に漂う
粒子は観客を大きく包み込みやがで観客の覚醒の中に散っていく
それにしても
役者達がしっかりと自分の役柄を守らなければ成り立たない舞台である
特に現実の中では色を隠し嘘で築いた世界に色を増す
深津絵里の演技力、
清楚でありながら一転妖しくさえ感じさせる彼女の魅力をどう表現すればよいのだろう
もちろん、余や犬山、山崎や生瀬といった手練の演技のなかでこそ
輝く演技ではあるのだろうが・・・
彼女の持つ芯の強さは
堤真一の持つデリケートさを秘めた芯の強さと見事に共鳴して
観客を引きずり倒すように舞台に引き込んで見せた
昔、価値観を破壊することに熱心な世代があった、たとえばつかこうへいのころ・・・
価値観を破壊しつくされた世界に立ち尽く世代があった。たとえば鴻上尚史のころ・・・
立ち尽くしたあとに虚無がおとずれ・・・・
虚無は現実を超越した新しい虚構を導くのかもしれない
ケラの作った虚構の中にある甘さと毒をもった危うい安定感は虚無の先にあるものにも思える
ケラの作った閉鎖社会の内側は行き場がなく甘美で魅力的・・・
見るものにゆっくりと締め付けられるように堕ちていく感覚を与える
「カメレオンリップス」はケラの世界観としてはこれまでの作品と大きく隔たったものではない
しかし、深津、堤らこれまでにない役者との出会いから
ケラは同じ世界観により深さをともなったテイストを与えることに成功した
この作者兼演出家にしかできないこと、この役者にしか出来ないこと
それらがミックスしてできた未踏の世界
ケラが作る世界を受容することができる観客には
極上の舞台となった
評価:★★★★★★★★★☆(+)