Stage

Stage/stage2

演目 劇団・プロデュース 場所 日時

ハルシオンデイズ

KOKAMI@Network 紀伊国屋ホール 2004年3月24日ソワレ

 

作・演出 鴻上 尚史

 

出演

辺見えみり・大高洋夫・北村有起哉・高橋一生

 

劇評

 

確かにうまくいっている部分もたくさんあるのだが・・・

問題点はもっと多い

ある意味で鴻上の才能の発露と限界を同時にみたような作品であった

 

もし、この作品を辺見演じる女性を描く芝居と見るのなら

成功している点はたくさんある。

ベースになっている3人芝居のトランスに

女性の自殺にたいする興味の要因となっている学生を加えることで

すくなくとも辺見演じる女性の内側が開示され

辺見を襲う自らの意思に反した自殺に向かうときの輪郭がくっきりと見えていたり

衝動的な自殺が訪れる構造がぞくっとするほど明確に表現されていたり・・・

彼女の周りは

学生とコンサルタントとしての彼女の関係がしっかり表現されることですっきりしたというか

彼女の行動に必然性が生まれた

しかしながら「トランス」に含まれる果実はそんなものではない

また、鴻上の意図もひとりの女性を描ききるだけではないはずだ

 

残りの二人については設定や役回りが悲しいほど甘い

時代を取り込もうという意思は感じられるのだが

鴻上の提示する事象や人物の表現はいらだちすら感じるほどステレオタイプで

まるで書割を見ているようにさえ思える

たとえば多重人格・借金苦・・・、それがどこか隠された世界であった時代には

それらの匂いを舞台に提示するだけで観客はさまざまに想像力を膨らませたかもしれない

役者達の演技は膨らんだものを観客の想いや距離感に合わせて

動かしていけばよかった

しかし、多重人格や借金苦が

事実は舞台より奇なりといった感じに

白日に晒されありふれた記号になってしまった昨今では

観客が彼らのキャラクター設定で想像力をふくらませることはもうない

観客は舞台の上で見たものと深さを持った現実との間に乖離を感じるだけだ

もし観客を彼らのいる舞台にとりこもうとするのなら

もっと丁寧に描かれた彼らの物語が必要になる

鴻上もその辺には気づいているようで

携帯電話での家族との会話や、料理でサラダをつくることなど

彼らの現実を表現する試みはいくつもなされているのだが

彼らの本質とありふれた糸でしか繋がっていないため

かれらの持つものがたりが観客にはステレオタイプで

はりぼてのようにしかみえないのだ

概念はそこにあるのだが、匂いがしない

輪郭だけがそこにあってコンテンツがない

それを大根役者が演じるのならある意味つりあいがとれるのだろうが

大高にしても北村にしても、

舞台上での表現力は十二分にあるものだから

物語のないままに精巧なフィギアが生まれ、彼らの空洞の存在だけが強調され

ロンドンの蝋人形館にいるようなフェイクの雰囲気に舞台全体が包まれてしまう

 

鴻上の見せ方にセンスとうまさがなくなったわけではない

台詞が背景で先行して物語があとからついていく方法は

ストーリーの内側に観客をさそいこむのに十分の力をもったメソッドだし

特に感心したのは高橋一生と辺見えみりの距離感、特に高橋の立ち位置と立ち姿は

それだけで彼らの関係を表現するのに十分なクオリティを持ち続けたと思う

彼の作る舞台というか見せ方には良い悪いはそれぞれの作品によるとしても

安定感と粋があることには間違いない

しかしながら、本来舞台の一番ベースにあるべき鴻上の思いの表現方法、

自殺サイト上に入り込んでいった登場人物たちの心情

背景にある彼らの事情と彼らの背景にある事象

事象のサマライズの仕方、サマライズした事象の関係の表し方

それらから鴻上の思いがほとんど透けて見えてこないのだ

もっと柔らかい発想にもとづいた表現、

言い換えれば

ルールをシンプルに扱うのではなくルールを綾織にするようなしたたかさがなく

線や点でなく面で思いをつづるような緻密さが足りない

たとえば「泣いた赤鬼」のような物語を幹に構築する世界が一元的でしかない

ユーモアというサブタイトルというか売り文句がついていたが

硬直した概念にまぶした笑いがどんなにしたたかであっても

そこに透けて見えるものはなにもない

ただ、深さのない笑いが何度もおきるだけだ

 

この芝居で一番機能していたのは

昔高橋演じる大学生がが三日月の話をしていたとき

辺見のコンサルタントが心を別なものにとられてその話を聞いていなかったという

エピソードではなかったか

この何気ないちいさな行き違いの話を二人が演じるとき

鴻上の演出とふたりの真摯で才気のある演技で

どれだけの想いが舞台の上を満たしたことか・・・

辺見の演じる日常のなかのほんの少しの心の空白

輪のように波立つ時間

高橋の演じる大学生のカウンセラーに対する一瞬の孤独

孤独が導き出す形がない、淡く深い絶望・・・

この演技はしっかりと終盤で大学生が消えていくときの

彼の表情に、そしてカウンセラーの切なさにしっかりと結びついていく

観客は彼女がこの舞台にあることの意味を

考えるのでなく感じることができる

 

元々の「トランス」は3人の関係の物語という部分が大きく

今回の舞台も鴻上のモチーフは同じだと思う

しかしながら3人のうち2人の背景がカーテンの向こう側にあるような演出では

観客にとって3人の関係が彼女から出でた2本の線にしかみえない

「泣いた赤鬼」を借景にして描こうとしていることが

「泣いた赤鬼」の解説にしかなっていない原因の一番はここにあるとおもう

「泣いた赤鬼」のむこうを見せるような試みは悪い方法ではないとおもうのだが

単純なストーリであるがゆえに

ストーリーとそれぞれの関係がもっと見えないとどうしようもない

 

悪い芝居ではないのかもしれないが

本当によい芝居とは、もっとスムーズにつたわるものがあるものだし

一方で鴻上に求められているクオリティは

一部が及第点というほめられ方をするべきものでは決してないはずである

たとえ

「言葉はいつも思いに足りない」にしても

足りないなにかも埋めるだけの力を鴻上は失っていないはずだから・・・

 

評価:★★★★★★★☆☆☆(even)

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