| 演目 | 劇団・プロデュース | 場所 | 日時 |
バナナがすきな人 |
ダンダンブエノ | 青山円型劇場 | 2004年5月16日マチネ |
作・大森寿美男&ダンダンブエノ
演出・出演 近藤芳正
出演
中井貴一・いしのようこ・酒井敏也・山西惇
温水洋一・栗田麗
劇評
おもしろかった。
劇場を出るとき最初に浮かんだのがこの言葉だった。
劇評を標榜していて、「おもしろかった」というのもあんまりなのだが
いろんな意味でこの芝居には観客を満たすというか
観客をゆっくりと丁寧に引き込むような部分があって
その丁寧さの果実を口にした満足感のようなものが
劇場を出て青山通りを歩いてゆくごとに深まっていく
ただ、それは「満足だ」と言ってもどうもしっくりこない感覚であり
やっぱり「おもしろかった」になるのである
ストーリーとしてはそれほど明るく軽いものではない
夫婦の破綻とそれを受け入れる子供の話なのだから・・・
ただ、この作品の秀逸な点は
事実を観客に提示するときの手法にある。
父と子、母と子、さらには人間と犬や犬どうしで語られ演じられる
物語やエピソードは
それぞれにフィクションとリアリティの側面を持ち合わせ
二つの側面に対しての登場人物のかかわり方やエピソード自身への距離の差から
登場人物の持つ想いや陰影が浮かび上がってくる
芝居のタイトルとしても使われている「バナナがなるシュロの木」の話の
使い方や広がり、更に物語の収束といったしっかりした起承転結が
同様に他の小さなエピソードにも
律儀と思えるくらいにしっかりした広がりと収束できちんと与えて
観客に違和感を与えない
著しく力むような演技もなく、むしろ几帳面で淡々としたような演技のひとつずつが
観客をきちんと舞台につなぎとめていくのは
ひとえにこの物語の明確に組み立てられたプロットが
シンプルでありながら丁寧に表現された
エピソードの積み上げで描かれたことの果実であり
それらが機能していることは
一つ一つのシーンを流すことなく愚直におもえるほど真摯に演じた
役者の勝利であるといえる
役者ではいしのようこがよい
柔らかな演技には気負いがなく
昭和40年代の普通の母親としての演技に説得力があり
同時に押すのではなくすこしひくようなアティチュードの自然さに
内で少しずつ現状への忍耐の限界をむかえることへの自らの迷い
さらには、決断したあとの強さのようなものが
くっきりと提示できていた
また、彼女のとまどいや無表情の一瞬に
彼女にしか作れない笑いを呼び込むことが出来る
天性のコメディエンヌとしての才能を
感じた
もちろん周りの役者達に支えられている部分もあるのだろうが
舞台上の存在感のバランスのよさは演出家のうまさであると同時に
彼女の才能に起因する部分が大きいと思う
中井貴一も初見であるが
彼には繊細な部分を明るく照らすような演技の華があり
舞台を一人で支えるに十分耐える演技の熟練がある
バナナの叩き売りの口上の見事さは
単に観客をほれぼれとさせるその裏で
彼の演じる男性の器用さと嘘を支える力を
しっかり植えつける
彼はシチュエーションや台詞だけでなく
彼自身の芸とでも称したいような技で
観客に自らを役柄をしっかりと見せていくのである
しかも彼には華がある。
マイクを前に橋幸夫を歌う彼から発するオーラを見よ
このような才能はスターといわれるものにしか与えられないに違いない
温水洋一と酒井敏也は期待されていたレベルの演技であるが
それぞれに生きるということが根源的にもつ悲しさや
それを受け入れるときふっと訪れる
自分や周りへのやさしさのようなものを
きちんとト書きの部分で演じていたと思う
芝居全体を見たときに
小学生や犬としてのディテールの演技のなかで
欠けてしまうと舞台が台無しになるようなニュアンスを
こともなげに表現できる彼らには
中井貴一以上の重要性があったかもしれない
ストーリーにおける重要性としてはやや落ちるものの
山西惇の演技は一種「へたうま」のようなところがあって
わざと流すような部分を作って物語の不必要な重量を見事に減らしていたと思う
また、近藤芳正とお互いを嗅ぎあう部分の演技は
手練の役者が持つ小技のすごさを十分に示していた
栗田麗の演技は山西惇と逆の意味での「へたうま」のようなところがあって
コメディエンヌとしての真剣演技をしっかりこなすことにより
芝居に心地よい浮遊感を与えていた
初のストレートプレイとのことだが
中井貴一とのからみの部分でもしっかり中井貴一を利用していた部分があり
その強さで彼女は役柄のお姉さんが満たされないものを
鮮やかに表現して見せた
また、中井貴一歌謡ショーの場面での踊りの切れがけっこうすごくて
観客の目を奪ってしまうほどだった
この芝居は統一感で勝負というよりは
ごった煮の材料のそれぞれからでる味の
バランスで勝負して成功したのだと思う
中井貴一の橋幸夫歌謡ショーは力技に近いが
それとて物語の必然にうまく収束させる演出の技量があったからできたこと
全体には実直な演技の積み重ねが舞台に展開されていたに過ぎない
奇をてらうというほどの奇抜さもなく
舌を巻くほどのウェルメイドプレイというわけでもなくい
しかしながら
たとえば犬達の親子再開が
家族崩壊であってもお互いを理解し思いやる作業の後であれば
救いがないわけではないことを暗示するなど
しっかりと物語の幅を作り、物語の味をひとつにまとめる
裏側の努力を忘れないことで
あの書割のような背景の舞台に
「おもしろかった」と観客に言わしめるだけの
深さと充足感に満たされた空間を作り上げた
しいて言えば暗転のタイミングや客席での演技などに
もうちょっとという部分もあるのだが
そんなことを簡単に吹っ飛ばすほど
この舞台には現実をポジティブに受け入れるものへの優しさを
そっと封じ込めた
深い味わいのようなものが感じられた
舞台のライトが消え味わいが余韻に変わるとき
包み込むようにやってくる充足感
しっかりと観客の心に充足感を残す芝居というのは
それだけで十分に賞賛に値するのである
評価:★★★★★★★★★☆(+)