| 演目 | 劇団・プロデュース | 場所 | 日時 |
| ママが私に言ったこと | シス・カンパニー | 青山円型劇場 | 2004年9月18日ソワレ |
作:シャーリット・キートリー
翻訳:常田景子
演出:鈴木勝秀
出演
木内みどり・渡辺えり子・大竹しのぶ・富田靖子
劇評
それほど複雑なはなしではない
英国の戦前から戦中戦後を生きた4世代の女性たちの
それぞれの生き様を描いた作品
集約してしまえばそれだけの話である
しかし、脚本はそれぞれの世代のロールに
実に巧みなシチュエーションを与える
一方役者達はこの一見ステレオタイプなコンセプトに
血を通わせぬくもりを通わせ
4世代を超える連綿とした時の流れと人のかかわりにまで
舞台空間を広げて見せた
この芝居の厚みにあたる部分は
役者の資質に左右されるところが大きいと思う
台詞には常に隠された想いや感情があり
シーンのほとんどの部分は
母と子の心の軋轢と離反、そして理解の空間につながっていく
そのなかで役者に要求されるのは役者自身の資質を問うような
感情や想いの表現
おおきなリボンをつけることによって演じられる世界ではの外側では
あくまでプレーンな演技が要求されるのだが
それぞれの時代の女性のパートとして役者たちに要求されるのは
生身の女性の生き様そのもののガチンコなのだ
それゆえ役者の力がもろに出る
そして
青山円型劇場のまるい空間で女性としての生き様を見せる
当代よりぬきの女優たちの演技が
なんとみずみずしく、深い想いと感情に満たされていることか・・・
4人の女優一人一人が自らの才能を
見事に開花させているところのこの舞台の秀逸さがある
木内みどりは4人の物語の原点となる役であるが
同時に舞台上ではかたられない前の世代との確執までを
表現しなければならない
そして老いを一番強く表さなければならない役柄でもある
老いた時間を演じる彼女の表情は時に乏しくさえ思える
その中から訥々と語られる時間、どこか教条的な言葉からもれだす意外な本音
素敵なカーテンの色が夫の好みだったとか・・・
でも、若いころ、彼女が幼い子の母であったときのすがたや
あるいは年老いてから、夫と結婚するときのエピソードを語るとき
彼女の心の底に流れていた水脈の水音を
観客は確かなものとして聴くことができる
すこしだけ台詞をかんだり一瞬不用意な間があいても
それが老いを表す符合になるほど
彼女の演技には密度があった
渡辺えり子は戦後の自由な世代に結婚した女性を演じる
女性が職業を持つことを認められはじめた時代
厳しい母親に育てられたことの反発
そしてそれまでの価値観にとらわれない結婚において
彼女のときめきは生活に埋もれていく
家事だけでなく仕事を持つことで生じる母との微妙な感情の行き違いを持ちつつも
一方では娘を理解しようとする彼女の理性
渡辺えり子の演じる女性にはその世代の母を包括するような間口の広さがある
どこか無邪気な幼い時代から
娘の子供を自らの子として育て上げる日々
自らの死を知りながら仕事を続けようとする彼女の意思まで
時々の演じる女性の想いを、渡辺はやわらかく観客を包み込むように演じていく
彼女の絶望やあきらめの想いは十二分に観客につたわり
なおかつ伝わった気持ちには苦悩だけでなくどこかぬくもりがある
大竹しのぶはさらに自由な世代に未婚の母を演じる
自らの夢のために母を名乗ることの無い女性の
心の痛み、孤独、不安、そして支えるものまでを
太くしかも繊細に演じていく
女優としての大竹しのぶの才にはいまさらながらに舌を巻くばかりだ
彼女の想いは舞台上で発する一言の台詞だけで
ダイレクトに観客の心に入り込んでいく
短い叫びやかすかな仕草、
さらには一瞬の間にすらに観客はとりこまれ・・・・
彼女の感情の高まりに観客の心は共鳴し
彼女の涙は観客自らの涙に転嫁される
通常、芝居を見るとき、
観客には役者が表現する気持ちを自分へ置き換えるみたいな作業があるのだが
大竹しのぶの演技に接するとその部分が吹き飛ばされてしまう
物語の流れに合わせて
彼女の演じる感情の豊潤でなおかつ洗練された表現に
観客は身を任せるしかない
富田靖子には母の演技が無い
代わりに母に対する強い想いが演じられる
富田靖子が演じる無垢は恐ろしいほど白い
目鼻立ちのはっきりした演技ができる女優であり
細かい心の動きをいかようにも表現できる類まれな能力を持ち合わせている反面
彼女がソリティアのボードを無心に動かしている姿には
演技を超えたオーラのようなものがある
彼女が想いをつのらせる表情は
どこまでも深くピュアであり
なおかつ決して触れてはいけないような排他性がある
彼女が無心を演じるときの説得力が十分にあるから
そして彼女の想いに雑音のようなものを感じないから
大竹しのぶ演じる母との真実がわかったときの
感情表現の強さが生きる
一方では彼女の演技力やオーラが崩れることが無いゆえに
大竹しのぶが自らの力をセーブせずに
娘と対等の立場で母を演じることができる
中央の舞台は作りかけの巨大なクロスステッチ刺繍に見立てられ
舞台のエッジには枠がはめられて舞台の外に布がはみ出している
一方舞台の上部にもクロスステッチ刺繍の裏側があり
一本の糸で舞台と繋がっている
芝居の始まりに女達は設定年齢の順番に現れ
上部の刺繍の裏側を見つめる
そして芝居の終わりに同じシーンが再現される
観客にとって最初のシーンは単なる暗示に過ぎないが
最後のシーンには時間や世代を超えた親と子のつながりや想いの連鎖と
その背景にある世代を生きた女性達の人生の重さを感じることになる
この戯曲は
芝居の基礎を知っている女性なら誰でも演じることができるとおもう
時間経過の入れ子はあるものの
物語のシーンごとに複雑な部分は特にないし
たとえ台詞が棒読みの大根役者でも
物語の内容を観客に伝えることはできるはずだ
しかし、同時に、
この戯曲ほど演じる女優の資質が問われる作品はあまり無いと思う
女優の力量の分だけ舞台に満ちる想いは深まる
木内の、渡辺の、大竹の、そして富田の資質が
それぞれに互いを制することなく開花する姿を見ることが出来る戯曲など
そうそうあるものではない
これまで大竹しのぶの芝居を何本も見たが
良し悪しは別にしても
彼女の才能が周りを凌駕して
彼女のワンマンショーのような印象の芝居になってしまったものが多かった
しかし今回は違う
確かに今回も大竹しのぶの演技は切れ、
彼女演じる女性の痛みや喜びの一つ一つが観客をとりこみ魅了したが
しかしこの芝居が彼女演じる女性だけの物語だという印象はまったくない
それぞれの女優が演じる女性たちの物語の豊かな印象に圧倒されながら
その後ろに存在する普遍性にしっかり収まっている感触を受けるのは
ひとえにこの戯曲のもつ秀逸な構成と
それを生かした演出の巧みさに由来するものだと思う
演出といえば
芝居の途中にちょっとしたアミューズのようなシーンがある
大竹しのぶと渡辺えり子が芝居のスキームを崩さないぎりぎりのところで演じた
その時間は
あまりにもしっかりと演じられていっぱいになった観客が
もう一度芝居を受け入れる体力をもどすための
絶妙のショートブレークになった
このようなちょっとした工夫にも
鈴木勝秀の非凡な才能を感じる
青山円型劇場の空間は時として
とんでもなく贅沢な時間を作り出す
今回がまさにその良い例・・・
きっと忘れることなく印象に残り続ける舞台になる・・・
そんな気がする
、終わったあと本当に満たされ続けたことを実感した1時間40分だった
評価:★★★★★★★★★★( ー)