出演
みのすけ・大倉孝二・犬山イヌコ
三宅弘城・松永玲子・八嶋智人
劇評
後で冷静に考えると
本来はバランスの取り方がとても難しい芝居なのだと思う
ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏(以下ケラ)特有の閉塞感の度合い
テンションの強弱
舞台上で開示される舞台の外の風景やシチュエーションの範囲
登場人物のもつ現実からの乖離の幅
ひとつのシーンのなかで時間が流れるスピード
それらのバランスがぴたりと合わないと
成り立たない空間の連続
しかし、それらを全て克服して
ケラ氏は実に安定した彼自身の世界を見事に構築して見せた
バランスがベストの状態であるからこそ
物語がしっかりと浮かび上がる
ケラ氏はひとつずつのシーンを実に丁寧に描いていく
必要な量を十分に・・・
2時間45分休息なしというという長さにも
十分必然性を感じるだけのストーリー
冗長さは微塵もない
収まるべき尺にきちんと収まった数々のエピソードが
観客をつなぎとめ舞台の世界に観客を誘い込む
たとえば、記憶のあいまいさ
過去と現在の因果
煙突の煙からタンバリンという男性のエピソードまで
観客が最終的に気が付かなくても意に介さないというスタンスの伏線や
事象に対するルーツの表現が
幾重にも重ねられていく
重ねることは重さを生み
重さはある種の鎖になって
誘い込まれた観客は舞台につながれひきづられて
舞台と共通の尺度やテンションで
舞台上におこる事象をながめはじめる
最後のシーンからみると必然であるさまざまな事象の提示方法が
実に巧みで
観客はまるでトンネルの向こうの光に吸い込まれるように
歩き続けてしまうのだ
当初舞台は大倉とみのすけを軸に回っていく
観客は大倉演じるチャズの視点でさまざまな事象をながめる
どこか不安定であっても一応秩序を感じる世界
順に現れてくる登場人物に対するある種の違和感は
実はチャズの視点から見た違和感にほかならない
みのすけ演じるスタンリーに対するチャズの愛着
三宅演じるドーネンの無神経さや
犬山演じるスワンレイクの神経質さ
松永演じるネハムキンの割り込んでくるような存在感
そのなかで水が悪くなり
やがてガスが止まる
ガスが止まることにより登場する八嶋によって一気に物語がひろがる
八嶋演じるリンドがしなやかに違和感なく舞台で動きはじけると
まるで別の位置からの光でなにかが浮かんでくるように
見えなかったさまざまなものが見えてくる
そして物語は風向きを変えていく
それまで観客が浸っていた価値観のなかで
あるものは機能しなくなり、あるものは暴走をはじめ
その果てにおとずれるカタストロフ
このあたりはケラ氏のお決まりのパターンで展開していく
但し
最後のわずか数分のシーンに
結実しているケラ氏の想いは
いままでの一連のケラ作品と異なる気がする
完成度が一段上がったというか
さらに大きく何かを表現しきったというか・・・
いままでのケラ氏の作品だって完成度は十分高かったのだが
今回のケラ氏の作品にはそれらを更に凌駕するものがある
たとえば、ネハムキンの最後のせりふ
すなわち戯曲の最後のせりふ
そのなかに込められたニュアンスの深さと大きさ
あれだけのものを一行のせりふに込めることができたケラ氏の作劇力
そして
それをあますことなくしっかりと伝えた松永の演技力には
息を呑むばかりだ
同時に今回のケラ氏の作品は
見終わってみれば過去の彼の作品に比べて
見通しの良い印象がある
それは、提示されたものと結末がしっかりと結び付けられ
舞台の中で提示された物の因果の果実の部分が
観客にゆだねられることなく舞台の上で明示されていることの
結果かもしれない
これまでの諸作品とくらべても
なにをどのくらい提示するかというバランス感覚が
ケラ氏のなかで微妙に変化していて
それが良い結果を生んだようにも思える
また、彼のイメージのふくらみの大きさが
しっかりと彼の変化した部分を支えていたともいえる
二つの月、電話機の形状、
記憶の削除、指輪 やぶれたセーター
その他様々なアイテムに込められた意味の豊かさ
それら、個性の強いアイテムが、観客の現実と共存することで
今回のような比較的明確な果実の提示による物語の陳腐化が
見事に防がれていたように思える
また、役者達の演技も
普通にやっても十分な力量をもった役者達でありながら
今までと一味ちがったチャレンジがみられ
これまでのナイロン作品での彼らとは
良い意味で異なるうまさがみられたし
一人一人の新しい強みや個性が強調されてもいた
みのすけの演技はしっかりと抑制されていて
つよい演技が必要な場面でもそこからはみだすことがなかった
冷静で、相手をしっかりと受け止めるような演技
自分が前に出る場面でもきちんと周りとの調和があり
これが大倉孝二の名演を引き出したと思う
みのすけを壁にして
大倉はこれまでのようにどこかで逃げることなく
しっかりと物事に向きあう芯を持った演技を見せた
シリアスであることに違和感をもたせることもなく
直立した強さを持った演技
それがそのままこの舞台の柱になっていた
三宅弘城はこれまでのナイロンでの彼の役回りをしっかりこなしている印象だったが
ひとつ間違えばしつこさだけが残るようなキャラクターを
寸止めで押さえて、なおかつしっかりとこなしていた
寸止めは同時に彼の持つ弱さのような部分を表現し
彼の演じるキャラクターに深みを与えていた
八嶋智人はナイロンが初めてとのことだが
彼の演技は他の役者が重さをしっかりと抱えた演技をしていたのと対象的に
軽快さを前面に出し流れるようなリズムがあった
それはたとえば「バッドニュース・グッドタイミング」で見せた
彼の演技と同質のものであるが
彼の軽快さにはしっかりとした知性の裏づけのようなものがあって
舞台全体にただようずれや狂気の感覚を俯瞰するような役目を果たした
また彼の演じるジャック・リント自身の行動への裏づけが崩壊した場面での怒りと
その後の松永の会話での冷静さは
彼でしか演じ得なかったものではないかという気がする
犬山イヌコの演技にはある種の気品があった
気品が作れるから説得力を持つ落差が生きる
また、その気品が「ある種」であるゆえに
みのすけ演じるスタンリーとの関係進展の唐突さに対して
観客が耐えうるだけの説得力を与えていた
また、犬山演じるスワンレイクの過去の物語がしっかりと色づいて
タンバリン氏との次の展開へとつながりえたのも
彼女が浮き立つことなくしっかりとある種の気品を守り抜いたことによると思う
松永玲子について
私はきっと
前述のあの、最後の台詞を忘れることが出来ない
彼女には元来器用に役柄をこなしていく才があり
逆になんでも器用にこなしてしまう軽さのようなものもあったのだが
この作品の彼女に関していえば
キャラクターに与えられたものを精一杯器用に上手に演じるというより
キャラクターから彼女がにじみ出るような演技をしていたと思う
たとえ台詞が同じであり動作が同じであっても
今回の彼女の演技には以前にはなかった
根のようなものがあり
根は深さと安定を生み
さらには
あの最後の台詞をしっかりと支えたような気がする
松永玲子については見るたびにどこか進化しているようなところがあり
いつも感心させられるが
今回の進化は彼女の演技力の深さを1.5倍にひろげたような印象がある
ここで得た深さを糧に
彼女はいったいどこまでいくのだろうとすら思う
エンドロールもすばらしく
また、最後のシーンも実に印象的であり
効果的であった
カーテンコールに並んだ役者達も見たとき
この物語がたった6人で構成されていたことに
不思議さと驚きを感じた
それほどに充実した舞台であった
これほどの舞台にめぐりあうことはそうあることではないとおもう
戯曲と演出と役者の演技のバランスがここまで整い力を発揮することなど
ありそうで実はめったにあることではないのだから・・・
この芝居を見ることができてとても幸運だったと思える
そこまでのレベルを持った舞台であった
評価:★★★★★★★★★★( ー)