笑える
驚くほど新しいタイプの笑いではないのだが
しっかりと限界を見極めた上での寸止めが効いた笑いである
笑いは観客を惹き付ける
だが、松尾スズキにしろ大竹しのぶにしろ
これだけ笑えますよというような芝居でお茶を濁すような輩ではない
糖衣錠の内側に仕込まれた重さ、
あるいは上質なかぼちゃの煮物の隠し味
この舞台の真価は笑いではない
舞台は学校の体育館の舞台風に作られている
まるでXX発表会といった趣き
一種のプロセニアム・アーチといえないこともない
これらは多分現在40代をすごすものにとっては
懐かしい小・中学校の原風景でもある
そこで演じられる物語は4つ
物語の間には「出しっぱなしの女」という
映画が連続ドラマのように挿入される
映画のトーンはひどく懐かしいものだ
昭和30年代を彷彿とさせる画質と音
昔の2軒長屋風の民家での秘め事
今はもう見ることが難しい板塀にどぶ板が似合う路地
猥雑で安っぽい物語にお子様用と大人の物語が混在する
ちょっと斬新なおちが封入されていて
おまけにしっかりと筋は通っていてウェルメイド
遊びのなかに真摯な部分が混じるような
この世代の価値観の原点を見るようなものがたり
一方、舞台で演じられる芝居は
原風景のなれの果てというか
映画で示されるような世界から出発した電車の
終着駅が描かれているようにも思える
親の会社のお金を使い込んだ果てに残ったなけなしのお金をはたいで
現実逃避をはかる男に
現実をそのまま持ち込んでとてもSMの態をなさない中年SM嬢
現実逃避のはずがより現実が生々しく提示されて
おまけに親には許すといわれる男のぬるさ
医者と女優という
それなりに社会的な地位のある者たちが
心療内科の診察室で見せる
中途半端なプライドと闇
独創的な頭に観客も脱帽(2話)
どんくさい精子と会話している
漠然とした夢しかないやる気のない精子が
なんとなく流れで
闘志満々の精子達を押しのけて受精してしまう現実(3話)
色々やっているうちに行き止まりになってしまった女に刺された
引き篭もり男
愛されることと刺されることの奇妙な符丁(4話)
ある種の閉塞感に支配されているとき
何かを抽出し昇華させたり
、象徴的な現実構造に物語をつけたり
ドンキホーテのように虚無に雄雄しく立ち向かっていくような芝居は山ほどあるし
もちろんその中には大向こうをうならせるものも少なくない
しかし
もともとがぐたぐたでステレオタイプな部分から始まっているものが
どうあがいてもぐだぐたにしかならないというお芝居は
そうあるわけではない
その世界観や表現手法は松尾スズキが元々持っていた才能の一部分なのだが
他にはまねの出来ない人生の澱の部分の描き方が
今回大竹しのぶという稀代の名女優を得て
小さな窓からその世代の生き方を俯瞰する芝居にまで
高められた感がある
ただし、元々が昇華できるたぐいのエッセンスを持ち合わせていないため
濃縮されたどうしようもなさから沸いてくる一種の毒気は
結晶化されることもなく
笑いへと化学変化を起こして
妙にあぶない味がする甘さを作り上げた
まあ、大竹しのぶという稀代の触媒があったからこそ
出来上がったテイストという部分もあるのだが
その毒は間違いなく
無防備に笑う観客を確実に捉え蝕んだような気がする
大竹しのぶは巡航速度でゆとりをもって演技していて
それが観客に物語全体で重さをかけるような効果をもたらしていた
彼女がひとシーンでも全エネルギーをかたむけてしまうと
観客はもうひたすら彼女に押し切られてしまうしかないのだが
今回のような演技だと舞台の中の彼女の大きさをきちんと認識できる
観客にとって
押し切られてしまうことも悪いとは限らないし
そのような演技も彼女の大きな武器ではあるのだが
(普通の女優には出来ないことだし)
別に伝家の宝刀を抜かなくても
観客を取り込みつくす技量を彼女は十二分に持っている
名女優というのはただがむしゃらになるのではなく
舞台に合わせて自分の能力を最大限に
活用できる役者に与えられるべき称号なのだろうと思う
松尾スズキは
きちんとプライドを内包したぐだぐだを作れるところがよい
大竹しのぶが持っている演技のレベルにすっと乗って
それでいて彼の領域をしっかり作っている
彼の役者としての資質が大竹しのぶが同じ舞台にありながら
大竹との相乗効果のなかできちんと生かされるところに
彼の役者/演出家双方の才能を感じる
1時間40分のなかに
流れるように手際よく詰め込まれた物語
結果として
笑いに満ちた口当たりのよいコンテンツは
ゆっくりと心にしみこんでいくが
やがてはため息のような切なさに行き当たる
それは猥雑な素材がちりばめられているにもかかわらず
上質の菓子を口に入れた後の
甘さにかくれたかすかな苦味や酸味にもにて
しっかりとした存在感を主張する
大竹しのぶが気持ちよさそうに替え歌で歌った
anything goes(なんでもあり)のように
この作品の味わいは
たしなみや品性の否定や笑いにずるがしこく隠された
とてもしっかりとした意図に満ちており
その意図は観客の表層認識をすりぬけて
見事に観客の内側を満たしたのではあるまいか
笑っておわった時間に振り返るような気持ちが芽生えることが
作り手の勝利のなによりの証であろうし
そうなりゃ、大竹しのぶのタップのひどさなんて
もう関係ないことなのである
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