日時 劇団名 タイトル 会場

’05.4月2日 ソワレ

双数姉妹

ラバトリアル

新宿 シアタートップス

作・演出: 小池竹見

出演:

今林久弥・佐藤拓之・野口かおる・井上貴子
五味祐司・小林 至・中村 靖・阿部宗孝
大倉マヤ・近藤英輝・吉田麻起子・帯金ゆかり

痛みを伴った作品である
役者が達者であるゆえに表面的にはなめらかな苦痛に見えるが
トイレのフラッシュ音とともに流したものへのレクイエムは
しっかりと心にしみて見ているものにかなり先鋭的な痛みを与える

最近の双数姉妹は
同じシアタートップスを使いながら
実に様々な間口の物語を作る
前回のファンシーはシアタートップスの枠をこえるくらい
広い間口で芝居を作っていたが
今回の芝居は同じ劇場でありながら
タイトな空間の物語となった
それは小池竹見が表現しようとするものを客席に見せる時の
視点の問題なのかもしれない
家族という大きなくくりからながめる物語だと前回のような(ファンシー)お芝居になり
今回のようにひとりの男性の内面という視点だと
今回のように深く刺さるような芝居になるということなのだと思う

物語自体は今回も非常に良く出来ていると思う
作家がいて放送関係の仕事をしているようだ
創作がうまくいかなくなると
かれはとあるトイレにこもる
そこはかつて別の作家が自殺した場所。
そして掃除婦として雇われた女性は
彼の恋人(愛人?)であった
作家はトイレにこもるとやってくる思いと対峙する
創作に繋がる良い思い出もあるが
そのままトイレに流してしまいたい想い出もやってくる
劇団の座付作家であった
才能は・・・、周りからは多分評価されていたに違いない
だけど彼自身から見て彼の作るものはうすっぺらい
劇団の中ではしっかりした地位を築いていながら
同時に問題も抱えている
さらに彼が作った戯曲の一部が彼にやってくる記憶として
断片的に挿入される
やがて、行き詰まりのなかで
過去からの自分の思いと掃除婦の自殺した作家に対する想いがかさなって・・・

小池は劇団の役者達をしっかりと信用しているのだと思う
どれかひとつが不安的であっても戯曲として成り立たなくなる3つの物語
過去の劇団の物語、劇団の演じた戯曲、そして今を
しっかりと組紐のように織り上げて
彼自身の心の内側にあるものを表現していく
今林の演技はしっかりとコントロールされ
いつしか観客の視線をはなれ
観客が感じるものの主体として舞台に存在する

それは、時として見ているもの心に強い軋みを与える物語であり
思わず救いを舞台の展開に求めたくなるシチュエーションである
全てを客観視することでどこか薄っぺらく
戯曲から実生活の妻に自らの物語を強いて
許しを乞うにも許されず
許しを乞う必要さえ他からは認められず・・・
そのなかで今林はやがて
野口の昔の恋人へと重なっていく

野口の人をいとしく思う表情の深さ
失って忘れることの出来ない事象
そして淡々とそれを
便器にこびりついた排泄物にたとえるときの言葉の深さ

最後に劇団時代の戯曲の終わりが演じられる
涙の霧が舞台を染めるとき
複雑な慰安が観客にやってくる

役者が物語を非常にしっかりと安定させているので
流れるように舞台は進んでいくのだが
ひとつだけ小池は作劇を踏み外したような気がする
それは帯金と今林が最後に交わす会話
戯曲の最後のシーンにつなげるという意味では
とてもよくできているのだが
物語のねじり方にやや無理があって
観客は舞台に導かれる視点が一瞬統一性を欠くことにとまどう
ふっと素に戻る瞬間があるというか・・・
しかし、その感覚があるから
観客は救われるのかもしれないと思う

双数姉妹の役者をいまさら褒めても新鮮味がないし
これほどのレベルでも彼らには当たり前の演技なのかもしれないが
今回の今林の存在感はやっぱり特筆に価する
野口には観客の視点が行かない部分でもしっかり外から舞台を作る力を今回も感じた
佐藤・小林・阿部あたりの安定感に
観客は舞台への集中力をしっかり高めることができたし
吉田は以前からあった一種の切れに加えて
演技のなかに艶を込めるテクニックを身につけたというか
観客をしっかり自身に固定するようなオーラを出せるようになったと思う

帯金ゆかりは当然に初見であるが
しっかりと思いを前面に押し出せるパワーに驚かされた
舞台から見て伝わってくる感情にベールがないというか・・・
たとえそれが獣の真似事であっても素のような会話であっても
表現に霞むものがないのだ
やわらかい口調の
今林とのやり取りでも
変わらずしっかりと思いが前にでてくる
動きにしなやかさがすこし足りないきらいはあるが
たとえば大竹しのぶの舞台をみるような感じといえばわかりやすいだろうか・・・
舞台から彼女が発する想いにはゆがみがまったくないのだ
彼女が場数をふめばものすごい女優に化ける可能性は大いにある
このように直接観客に思いをぶつけることができるというのは
天から与えられた才能のなす技の範疇なのだろうし
彼女の豊かな才能の片鱗を垣間見た気がした

もし、双数姉妹の役者達の力がなければ
この芝居はもっと陰惨な雰囲気の自虐劇になったに違いない
もし劇中劇がきちんと演じられなければ
今林やその向こうにいる作者のことばは
陳腐なマスターベーションのように聞こえたに違いない
この芝居に含まれた痛みと痛みに合わない軽さやうすっぺらさのなかで
それを包括してひとつの世界になしえた小池竹見は
双数姉妹という劇団に恵まれて
ある意味幸せな作家なのかもしれないと思うのである

評価

★★★★★★★★★☆Plus

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この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい

劇評

Stage Review 2005