日時 劇団名 タイトル 会場

’05.4月23日 ソワレ

ポツドール

愛の渦

THEATER/TOPS

脚本・演出: 三浦大輔

出演:

米村亮太郎・富田恭史・仁志園泰博・古澤祐介・小林康浩
安藤玉恵・岩本えり・小倉ちひろ・遠藤留奈・佐山和泉
青木宏幸・鷲尾英彰

評価

★★★★★★★★★☆Plus

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この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい

劇評

Stage Review 2005

ポツドールの表現については、その表面的な内容から
革新的な表現との賛辞や
感情的な批判等もけっこうあるのだが
私にはあまりぴんとこない

三浦大輔の作品は実に緻密であり
真摯である
そしてけっこうコンサバティブであるとおもう
セミドキュメントという手法にしても
実はこまかい表現の積み重ねでなりたっているわけであり
役者達の高度な演技力がなりたたない演劇であるとも思う
今回の作品でもその緻密さと卓越した構成力は遺憾なく発揮された

舞台は台詞をそのまま借りれば
「乱交パーティ」
4人の男性と4人の女性がSexの欲望を満たすためにやってくる
導入の部分が非常に秀逸で
大きなBGMで台詞がほとんど聞こえないなかで
メンバーが次々とやってくる姿が表現される
観客はそのなかで自分の居場所を知る
外側からみるとというか、一般には十分に把握し得ない世界が提示される
舞台に提示されている世界と観客との距離や立場が
そのシーンで鮮やかに表現される

次のシーン
本当はしたくてしょうがない大学生の女性のシーンがその後に挿入されることで
はじめてBGMに包まれた空間の内側に観客は放り込まれることになる
リモコンバイブを股間に入れた少女の
パーティへの参加に対する戸惑いが・・・
あるいは性に対してみずからが課した羞恥やためらいと
一方で自らの性にたいするあこがれの建前と本音が
多少の猥雑さとともに鮮やかに表現される

4人の男と4人の女がお互いに相手をみつけて
最初のセックスにいたるまでのシーンは
この芝居のおおきな見せ場かもしれない
お互いがしたいのだという気持ちを確認するまでの過程が
どれだけかっこうわるく切実か・・・
そしてその両方を表現する
役者達のゆっくりと間を取った演技のなんと見事なことか
ひとつの動作、ひとつの台詞が研ぎ澄まされ
観客を引き込んでいく
まるで銅版画の線の一本ずつを描いていくような役者の演技に
ポツドールの演劇の原点があるような気がした
また、お互いに最初を済ませて次の相手を探すまでの過程も
最初と同じくらい緻密に表現される
時間の表示を挿入して舞台のバックを適宜するやり方は
騎士クラブなどでもうまく使われていたが
この芝居では暗転時の時間の表示が
全体の展開をしっかりと表わすのに非常に有効であった
自分の本音や欲望を表すことの過程に
三浦大輔の冷徹な観察眼を感じる

さらに舌を巻くのは欲望の表現が開放されてからの
役者達の演技と演出の冴えだ
舐めてもらう場所について
陰部を相手に晒しながら説明する芝居の強さ
観客に十分な劣情を与えるように
股間を開くなかできちんと悦楽を表現できる女優の
演技に対する心ざしのの高さ
それはひとりずつの女優の嬌声のリアルさにも現れているのだが
陰部の匂いを揶揄する言葉の猥雑さを
しっかり表現できる役者達の力
まるでこぼれるほどに舞台に満たされる空間の見事さ
群集処理のような部分が実に巧みで
見ているものに混乱をあたえず
一方で平行して交わされる会話が重なり
強められ消され波のようなものが生まれていく
欲望の重なり合うところから生まれる軋轢のようなものも
鮮やかに表現してみせる

等しい大きさでの芝居は青年団の演劇と共通する部分もあるのだが
青年団の芝居に比べると
ポツドールの作る空間は根本的なパワーが浅く強い
時間を編みこんでいくような空間の作り方はいっしょなのだが・・・
それにつけても
ある種の呪縛から開放された男女の群像シーンの
緻密なことか・・・
まるでひとつずつのささやきのような台詞が
線描画の一本ずつのように広がって
大きな深さをもった空間を見事に作り上げていく

また、童貞の男性と安藤玉恵演じる常連の女性のセックスが
うまくいくまでのエピソードとか
女陰の匂いが強い女性の顛末とか
さらにはカップルが合流して来る場面
単純に台詞の積み重ねで全体の流れを作るだけでなく
個々のエピソードもべたとおもえるほど丁寧に作っていく
にすることから見ることにいたるまで
羞恥を忘れた男女が性に溺れ時間を共有していく中で
朝が来るまでの必然性がしっかりと提示されるから
朝の光の殺伐した感じがしっかりと観客に伝わるのだと思う

店員がカーテンをあけてからのシーンも非常に秀逸である
朝日と早朝のテレビ番組の音が空間に現実を呼び戻し
そのなかであられもない姿の男女は
現実の服をもそもそと身につける
そのなかに内包される一種のみじめさに
性のもうひとつの側面がしっかりと表現される

家路に着く観客は
多分ベクトルのしっかりした感動を持つことはないだろう
ただ、何かにしっかり浸された感覚は残る
この感覚はゆっくりと体のなかにしみこんで
そのあとにもう一度緩やかな感動のようなものが戻ってくる

その感覚を反芻するしたとき
、心ある観客は
三浦大輔と、役者達の手を抜かない才能の発露に
再び自分の見たものへの愛着と感動を
あらたにするような気がする