日時 劇団名 タイトル 会場

’05.5月4日 ソワレ

Kera Map

砂の上の植物群

シアターアップル

脚本・演出 ケラリーノ サンドロヴィッチ 

出演:

常盤貴子 筒井道隆 
西尾まり子 猫背椿 池谷のぶえ 赤堀雅秋
つぐみ 山本浩司 喜安浩平 
温水洋一
渡辺いっけい

評価

★★★★★★★★★☆プラス

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この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい

劇評

Stage Review 2005

ケラリーノ・サンドロヴィッチ(以下ケラ氏)の作品には
なんらかの狂気が存在している場合が多い
その狂気にはいくつかのパターンがあるのだが
今回のようにいくつかの狂気が交じり合ったときに
ケラの作品の本質が一番くっきり浮かび上がってくるような気がする

精神科にて
患者と正常者の違いは
社会生活を送れるか否かで判断されるそうであるが
今回の作品において登場人物は
ボーダーラインの内側と外側ぎりぎりに
その狂気が設定されている
たとえば記憶の喪失、
他人にたいする支配
架空の世界への逃避
人を傷つけることへのためらいのなさ
インフォマニアにちかい性への抑制の欠如・・・
日常の生活に起こったアクシデント(航空機事故)で何かを断ち切られ
日本人の根底にある日本人であることの甘えを封じられ
気が付けば
まるで常軌と狂気の間の細い壁の上を歩く人々によって
物語は展開していく

閉塞感が支配する空間のなかで
狂気が引き起こす別の狂気・・・
登場人物それぞれに異なる狂気を内包して
ひとつの建物で時を過ごすというシチュエーションを
しっかりと理論武装して作り上げたケラ氏の才能には
それだけで感嘆するのだが
走ることなく留まることなく
それぞれの登場人物に合わせて広げてられていく
狂気の果てのカタストロフには
もっと強い衝撃をうけることになる
ただ、ケラ氏はカタストロフを描くためにドラマを作ったわけではない
カタストロフの先へと足を運ばざるを得ない人たちの姿で
物語は終わる
絶望の先にあるかすかなやすらぎ
悲惨ともいえるエピソードに満たされているのに
悲劇とは思えないドラマの終わり・・
観客が得るのは
それは「消失」の最後のシーンで
この世を去った者たちとこの世に残されたものの対比の
シーンを観せられたときの感覚と似ているかもしれない

パンドラの函をあけたとき
最後に残ったのは希望だったという話を
ふっと思い出す
それを希望と呼んでよいのかはわからないが・・・
ある種の不思議な慰安がそこには存在する

役者について不足はまったくなかった
それぞれの狂気を骨太に描きえる役者ばかりだったと思う
特に猫背椿の崩れ方には瞠目した
彼女の演技には狂気を裏付けるだけの内面がしっかりと表現されていた
池谷のぶえはここ一番の演技に力まない張りがあり
彼女の演じる女性が守り抜いた自らの世界が
物語を分厚くしたと思う
西尾まりもまわりにかき消されそうなキャラクターを
しっかりとした透明感を持って演じ切っていた
つぐみの演技にはあやうさと芯がしっかりと共存していた

男優陣では渡辺いっけいの冷徹さと
温水洋一の押しの強さが目を引くが
今回一番の演技をしたのは筒井道隆であったと思う
役として彼にあっていたというのもあるのだろうが
現実と空想の世界、さらに常盤演じる女性の現実と
彼が入り込む物語の接点の部分での彼の無邪気さのようなものは
彼でないと成り立たなかったのではないかと思う

赤堀雅秋も野太い演技で他の登場人物との対比軸をしっかり作った
山本浩司、喜安浩平は個性と個性の間に挟まれる役柄だが
しっかりと自分の役を守りきったと思う

常盤貴子は、強い演技をするときに
せりふや仕草ががぶれるような嫌いがある
ただ、彼女には一瞬の沈黙やすこし迷うような仕草に
想いをすべてこめて観客を根こそぎ掴んでしまうようなところがあり
多少演技がぶれても
気になるどころかそのぶれがトリガーとなり
強い感覚が刻まれるような気がした
舞台が初めてとのことで不慣れがぶれを呼んでいるのかもしれないが
彼女が作り出す空間の深さや重さは
舞台女優としての資質も十分に感じさせるものであった

上演時間の3時間15分は観客の体力や集中力を奪うほどの時間であるが
今回時間の長さを感じることは一切なかった
それはケラ氏の作り出す狂気の綾織がどれだけ見事であったかの
証明でもあるのだが
同時に狂気に共鳴するものが観客にもあることの証でもあったと思う

劇場を出たとき
歌舞伎町のにぎやかさと無関係に
強く重い印象や感動が
ずっと心の底にたたずんで尾をひきそうな予感がする
家路であった