| 日時 | 劇団名 | タイトル | 会場 |
|---|---|---|---|
’05.5月14日 マチネ |
bird's eye view |
un_titled |
駒場アゴラ劇場 |
構成+演出 内藤達也 出演:
|
この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい
満たされた気する
比喩的な言い方だが
なにかしっかりとした箱に
私好みの色々なものが詰められて
最後にラベルを貼って渡してもらったような気がする
本当に秀逸なのは箱の部分なのかもしれない
箱の中身を詰めてもらって描かれることによって
初めてしっかりと理解しうる事象
台詞がなく動作のなかでえがかれるいくつかのシーン
はじめと最後に繰り返される一連の動作
中間に挿入され最後に繰り返される
ヘッドホーンをつけた者の動作
一方コンテンツには台詞がある
家族や友人や恋人など
近しい者達との関係や距離感
たとえデフォルメされたり
何かが欠落したり加えられたり
ゆがんだ定義のなかで描かれた世界であっても
その世界の中では物語となり
形を成す
見えるもの、肌で感じること
超現実的に肌で感じていること
箱の内側から透けてみえることは
研がれたような箱のエッジのシェープを際立たせ
箱全体に存在感をあたえ洗練を感じさせ
箱の重量をしっかりと観客に印象付ける
実際のところコンテンツの部分は
クオリティとしてバラツキがあった気がする
豊かな発想や知性に満たされた遊びが
観客を十分に楽しませてくれる一方で
ちょっとオーバーアクションを感じる部分もあった
舌足らずだったり饒舌すぎる感じがする部分もあった
アイデアも斬新なものと多少陳腐なものが混在していた
ただ、物語の前提というかシーンを理解せしめる導入と
物語からの離脱というか切り方に
非凡なセンスが溢れており
観ているものはある種のリズムや感覚に身を任せながら
それぞれのシーンを追っていくことができた
加えて、舞台装置で作られた見える内と透けて見える外という概念にも
洒脱な部分があり
非常にルーズなシーン間の関連性の繊細さも手伝って
提示される物語のひとつずつが実にくっきりと透明感のあるものになっていた
多分、このゆるさと鋭さのアラベスク自体が
演出家が現実をプレパラートで眺めたときの
姿なのだろうとも思う
個々のシーンを考えたとき、
もっと洗練される余地はあるのだろうが
物語を一定の雰囲気の中で流す
構成に関するバランス感覚は
最後のシーン達を観客に染み入らせる
大きな力になったのだとも感じた
男優のなかで一番印象にのこったのは
櫻井智也であろうか
NUを観たときの彼にも感じたのだが
彼が内包する力にはしっかりと舞台を支えるベクトルが存在している
小手伸也は初見であるが
少なくとも彼の世界がしっかりと見えるのがよい
柔らかい壁のような部分と
粘度をもったもろさのような部分の表現が印象にのこった
杉浦理史には動きに切れがある。
但し切れをしっかり持って動けるよさと
動くことで伝わってこない何かの
両方を感じた
大内、日栄、森下、小野、山中といったところの演技には
不必要な部分をきちんと落としたようなしっかりさと潔さがあり好感が持てた
松下好には相手の演技を受ける部分に
華があるのがよい
近藤美月の演技にはクールな存在感があって
強い印象が残った
後藤飛鳥の演技はNUでも印象に残っていたが
今回も構成の中で生きる演技ができていたと思う
コンテンツを構成する役者が十分な踏ん張っていたからこそ
作品自体にしっかりした質量が生まれたといっても
過言ではない
前回、NUを観たとき
irresistableな芝居であるとの感想を持ったが
そのことは今回も変わっていない
何かをしっかり内包しており
きちんとしたベクトルを維持できる劇団の魅力は
簡単に崩れることはないのだろうと思う
ただ、それだけで観客を満たせるわけではあるまい
箱がしっかりとしているから質量のある袋を
たくさん詰めることができ
たくさんの何かを箱の重さから感じえるから
観客は満足を感じるのだと思う
ただ芝居を観る人間というのは貪欲にできており
袋それぞれにはまだ入る余地のあるものがあり
そこをつめればさらよしといったところだろうか
佳作であることにはまちがいないのだが・・・