| 日時 | 劇団名 | タイトル | 会場 |
|---|---|---|---|
’05.7月09日 マチネ |
桃唄309 |
ブラジャー |
吉祥寺シアター |
戯曲・演出:長谷基弘 出演:
|
この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい
桃唄309は初見である。
だから、出だしのパレードがいつものことなのかどうかは
わからない
舞台装置がないにひとしい空間の上で芝居をするために
現実と虚構の区切りに挿入されたシーンなのかもしれないが
目的をはたすほどの印象を与えているとは思えなかった
工夫だとおもうし試みは悪くないとおもうのだが
終わってみれば、その工夫は芝居自体のコンテンツ充足感の前に
不釣合いに軽く思えてしまうのだ
もっとも今回のように出演者が回りに控える中で
芝居が演じられる場合には
このようなけじめというか区切りがむしろ作る側に必要なのかもしれない
同様の導入を試みた芝居として
夢の遊眠社の「半神」があるが
あれも芝居に結び付けられていることを差し引いても
ちょっと反則だったのだろうと思う
実のところ
パレードの風景がとってつけたものに思えるほど
芝居の内容は充実していた
ひとつずつのシーンにはとりたてた重さがないのに
目の前にシーンが積み重なっていくうちに
明確に重さをもっていくいくつかの事柄・・・
物語の伏線やリンクの張り方も
比較的ルーズなのに
しっかりと観客を取り込む強さを持っている
なにかが滅びていく寂しさと
新しいものを作り出していく充実感
それは、黎明期のブラジャーを作る女性の話と
新しい会社を創業する女性の話のオーバーラップや
第一次世界大戦の塹壕の兵士の話と
商店街の若旦那たちの話の
さらには、戦後日本でブラジャーを広めていった男達の創意工夫と
会社を辞めた二人の女性を中心として新しい会社の才能が発露していく過程の
つながり
繰り返される歴史の中で
何かを充実感をもって作り上げていく
そのときの喜びもまた共通で・・・
特に感心したのはその間を旅してきた
ミシンとボビンケースの物語の巧みさだ
彼らの存在により
物語の重なりが非常にくっきりし
また、彼らの物語が観客に
いくつもの物語に流れる時間のつながりをしっかり植えつけていった
あたらしい何かを創造するよろこびが
何度も彼らを通して行われていく
彼らが再び出会いここががんばりどころと動き
やがて何かが始まるときに立ち会える充足感が
彼らを通して観客に伝わっていく
どのシーンにもつよい緊張感はなく
ただ流れていくだけなのに・・・
だれも強く声を張ることもなく
誰も力で観客を導こうとしているわけではないのに・・・
合唱で物語をすすめるシーンなど
完成度が決して高いわけではなく
むしろもうちょっとなんとかなるのではないかと思えるようなのに
ある意味開放的な舞台を眺めているうちに
すこしずつ違和感なく増していく物語のコアの部分の
強さと重さ、さらには広がりに観客は取り込まれていくのだ
役者ではほりすみこと山口柚香のちょっと閉塞した実存感が
まず印象にのこった
派手さはまったくないのだが
彼女達の存在感が物語をしっかり束ねていたとおもう
ミシン役の鈴木ゆきをとボビン役の楠木朝子も
難しい役どころを
落ち着いたしかもイキイキした演技でこなしていた
最後にミシンが退場するシーンでうるっときたのは
彼らの豊かな演技の積み重ねの勝利だと思う
橋本健や森宮なつめにはしっかりとした張りがあり
しかもそれが舞台の上でちゃんとなじんでいた
藤本昌子のある種のビビットな感じや生井歩の実直さも
実はボディブローのように観客には効いていた様な気がする
男優達もみんな演技に誠実感があり
しっかりと力加減を心得て舞台を支えていた印象がある
しかし
なんといっても物語の構成の巧みさが
この舞台の肝ではあるまいか・・・
それを具現化した役者達も手練れぞろいだったが
なにか自分のなかに眠っていた
ちょっとした喜びや憧れを
柔らかにひっぱりだしてもらったような・・・
あるいはそんなしかけに乗せられたような気がする
2時間であった