| 日時 | 劇団名 | タイトル | 会場 |
|---|---|---|---|
’05.9月17日 |
絶対王様 |
猫のひげのしくみ |
シアターグリーン(?落とし公演) |
作・演出・出演 :笹木彰人出演:
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この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい
評価が難しい芝居である。
表現しようとしている内容のコアにあたる部分は痛いほど伝わってくるし、わかりやすいともいえる。目頭がうるっとさえくる見捨てない優しさのようなものがしっかり表現されているし、現実の残酷さも過不足なく織り込まれているとおもう。後述するように役者もしっかりしている。
にもかかわらず、映像の使い方がうまくいっていないことから芝居全体のスキームが非常に貧弱なものになっているのだ。
映像が芝居の外側を写し出すのはひとつの手法だとおもう。現実に映像を取り込んでいる芝居は多い。ナイロン100℃の巧みさが一番よい例だとおもうが、それ以外にもひとつの映像が芝居全体の奥行きを広げた例はけっこうある。
しかし、今回の絶対王様の映像は、明らかに観客の想像力を減じてしまっている。別に名作を取っているとはおもわないまでも、役者を使い予算を使っている映画なのだから、ある程度のクオリティを持っていることが前提になっているはずなのに、映像はその前提をみごとに覆してしまう。映画の内容が繋がらないというより、舞台上で作り上げているはずの映像と実際に撮影されている映像にギャップが多すぎるのだ
最後の部分の映像は、映像だからこそ表現できたビターな感覚だったろうし、それ以外にもメイキングを作成するということで取られた映像が非常に強い説得力を生んだ場面もいくつかあった。それゆえ、映画の撮影部分というか映画のコンテンツのラフさが芝居を壊している気がしてならなかった。
ラフさという意味では、カンパニーがひとつになっていく過程にも、見せるところと隠すところのバランス加減にもかなり雑な部分が目立つ。
訴えようとするものの純粋さや人が根本的に持っている善意の部分の表現意図が相応のレベルで存在するだけに、もったいない気がしてならない。
ひきつけるものはたくさんある芝居なのに、観客の想像力で広げていく部分が種明かしをされていうような・・・
芝居が正直すぎるというか・・・
観客は面白い芝居を見に来ているのであって、必ずしも誠実な表現をもとめているわけではないのに、そのあたりに錯誤があるような気がしてならない。
役者のなかでは、有川マコト、青木十三雄、藤井樹といったところの安定した演技が目を引く。加治木均もしっかり舞台を支えてなおゆとりのある演技であった。
永井正子もナチュラルな存在感に好感が持てたし、星遙子の演技にもしっかりとエンディングに繋がるだけの芯の強さがあった。
関根信一はまさに怪演なのだが、そのなかできちんと女性の優しさが表現できているところに力量を感じる。入山宏一の気の弱さの表現も秀逸であったが、これは役者の力量に加えて同時に演出の勝利だとおもう。
菜葉菜の演技は若干硬質で、どこか舞台の中に取り込まれきれないような印象があるのだが、同時にせりふや演技の間にしっかりとした切れのとまっすぐに訴えてくるような強さがあって、それが、ルーズになっていく舞台の物語を引き締めていたように思える。小さな仕草や表現が作り出す雰囲気に、ある種彼女でしか表現できないようなものを持っている女優でもあり、今後見続けていきたいと感じさせるなにかが彼女にはある
土田よしお、沖本達也は熱演であったが、もうすこし演技に強弱が欲しいところ、芸の部分の客席への押し出し方にはしっかりとした迫力があるのだが、そのあとの引いた演技に十分な弱さがなく、逆に強い演技の部分を殺しているような印象がある
そのあたりで舌を巻くようなテクニックを見せていたのが郡司明剛だった。
あと、役者としての笹木彰人もとてもよい味を出していたのだが、それよりも舞台の上でのフェレット君の演技がなかなかよくて妙な感心をしてしまった。見た回が偶然そうだったのかもしれないが、ついつい芝居を忘れてフェレットを見つめてしまった時間が数分あった
結局、絶対王様として
シアターグリーンの?おとしということで、いろんな試みがあった芝居ではあったが、打率がちょっと低かったということなのかもしれない。
トライをすることは決して悪いことだとおもわないのだが、戯曲のなかで作成されている映画のように、いろいろなものが繋がらなくなっては物語も完成はしない
映像のいくつかが、観客の中の流れのようなものを断ち切ってしまったので、物語のいくつかの部分が浮いてしまった。
そんな印象がぬぐいきれない作品であった
よいところもたくさんあっただけに、評価はやっぱり難しい