| 日時 | 劇団名 | タイトル | 会場 |
|---|---|---|---|
’05.11月13日 |
離風霊船 |
赤い鳥逃げた |
シアターグリーン |
作・演出・大橋泰彦出演:
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この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい
日本航空JAL123便が墜落したのは1985年8月、実は、当時私は日本にいなかったのでそのときの喧騒を実感としてもたないのだが、ニューヨークの5番街にあったJALのオフィスに犠牲者の名前が張り出されていた光景は今でも覚えている。
また、当時東京から大阪へ向かう時飛行機を利用していたこともあった私は、実際にその便名のフライトに搭乗したこともあり、ある種の戦慄を覚えながらその前を通り過ぎていた。8月のニューヨークのちょっと汗臭い雰囲気のなかで、妙にどきどきとしていたことを今でも忘れることができない。
離風霊船の「赤い鳥逃げた」は1986年1月に初演された。この段階でこの芝居の衝撃はさぞやだったと思う。私がこの芝居を初めてみたのは1989年の冬にスズナリ(下北沢)でだったと思うが、そのときですら息の詰まるような衝撃でしばらく席から立てなかった。スズナリの階段を感じるときお尻の痛さと同時に、ものすごい寒さを感じた。
それは、一瞬のうちに現出した衝撃的な墜落現場への驚きと、そこにたたずむ時間の閉塞感の肌触りだった。
今回、2005年の「赤い鳥逃げた」も芝居の基本設計は変わっていない。
物語もそこに込められた思いも1989年に私が見たものと大きく変化はなかったと思う。当時から考えると神野美紀や高橋克実などの役者はいないにしても伊東由美子、松戸俊二小林裕忠、山岸諒子、相川倫子などといった役者に衰えはなく、一方で新しい役者達がしっかりと舞台を支えている。総合力という意味では決して他の劇団と比べても遜色はないように思える。特に上演時間のなかでのメリハリの付け方のうまさなど、円熟の感さえある。川上家の団欒から事故現場に至る最後の10分間、舞台に込められた思いの重さがしっかりと観客を捕らえていたし、わかっていても最後のシーンが持つ衝撃はやはり私の心をしばらく思いに浸らせた。
しかし、この芝居を今この形態で上演するのにはどこか無理があると思われる。
20年の時間の流れをなんとか織り込もうと工夫をされてはいるのだが、あまりうまく機能しているように思えないし、ましてや逆噴射の片桐機長というキャラクターにはかなりの無理がある。20年の歳月は片桐機長を観客の脳裏から消し去るのに十分だし、もし記憶があったとしても彼の顛末を物語のなかで膨らませることなど出来はしない。彼の役割が観客に伝わらない時点で、すでにこの舞台は片肺飛行を強いられたことになる。
ビデオで時間を巻き戻すというのもわからないではないが、当時最新だった機能を駆使しても、20年後の舞台にそのインパクトはまったく伝わってこない。
もしその風化した部分こそ20年だということで表現をそのままにしているのなら、
ある意味彼らのもくろみは成功しているともいえるのだが
その風化は物語にある時間を越えた普遍的な要素を逆に曇らせているようにも思える。
20年という歳月は、物語をそのまま昔のままで演じるにはぎりぎりの時間経過なのかもしれない。もうしばらくすると、事故の存在すら教科書が描く事実と同列になってしまうだろうし、そうなれば、観客の記憶を借景にして積み上げられたシーンも、極めて舌足らずな印象にかわってしまうだろうから・・・。
たとえ訴えたい事柄の普遍性に裏打ちされていても、背景が見えないなかで見せられる演技に観客の心は共鳴しないだろう。今回の公演で感じた私の違和感のようなものは、時間に戯曲の圧力隔壁を壊れていくときの前兆音だったのかもしれない
20年の時間は小手先の工夫で物語をいじる程度で繕えるほど小さくはないということだと思う