日時 劇団名 タイトル 会場

’05.12月17日 

野田MAP

贋作罪と罰

シアターコクーン

作・演出・出演 野田秀樹

出演:
松たか子・古田新太・段田安則・宇梶剛士
美波・マギー・右近健一・小松和重
進藤健太郎・村岡希美・中村まこと

この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい

劇評

Stage Review 2005

初演の時に比べてずいぶんと贅肉が削ぎ落とされた印象がある。

物語がしっかりと輪郭を持って整然と語られていく。

物語は物語として野田MAPの世界であっけなく始まり粛々と進んでいく

ただ、物語が議論を超えたものたちの世界を表現するように

芝居は物語を超越することとなる

 

物語はそれほど複雑なものではない

主人公の英が金貸しの老婆とその妹を斧で殺した経緯から、

自らがその罪を認め縛につくまでの経緯、

一方で英が罪を正しいことと思うまでの時代の経緯

警察の追及、家族との関係

彼女の犯罪に気づくものとの確執・・・

いずれの展開にも無理がなく

物語が浸潤するように観客の中に入り込んでくる。

良く出来た物語ではあるが

それはあくまでもよい小麦粉で作られたパン生地くらいの要素でしかない

おいしいパン職人の腕の見せ所はイーストの扱いと窯との付き合い方である

 

窯にあたる部分、舞台空間・・・

わずか12人によって作られるその空間の鮮やかさについては

語る言葉を見つけられない。

そこには際立った舞台装置が設置されているわけでもなく

けれんが仕掛けられているわけでもない

椅子や時代や物語を形成する最小限の小道具、

そして野田らしい工夫にみちた使い方が

観客の想像力を絡めとって

空間を形成していく。

なんといってもそれらを動かす役者たちの

動作のメリハリの美しいこと・・・

「半神」のように舞台にさらに内と外(演じられている物語の外側)の空間があって

舞台上で演ずるときはもちろん、舞台の下にいるときも

役者たちはしっかりと舞台を見つめ、自らの中で

舞台上とおなじ時を刻んでいく。

ただ、控えていることもあれば、音だけで舞台を攻めることもある

そんな役者たちが心を込めて作り出す音たち、

たとえば扉を叩く音、そして開ける音

さらには掛け金をはずす音、

それらが一本のポールに見えない扉に重さを広さを

しっかりと浮かび上がらせて

舞台に立つものたちにしっかりとした存在感を与える

その姿はスケルトンの時計をすら想起させる

役者たちがそれぞれに自らが演じるものを時にかえて歯車を回し

舞台上のさらに大きな時計の針を回していくような・・・

舞台の下で控えるときも、彼らは時を刻むのを休むことなく

舞台の熱を保ち続けているように見える

それゆえ時が満ちて舞台の上部に上がる役者たちの演技に

不要な力みや揺らぎがまったく見られない

その滑らかで、力に段階がなくばらつかない、すっと立ち上がっていくような

まっすぐな表現を観客はなすすべもなく受け入れることとなる

 

なすすべもなく受け入れられたまっすぐな表現は

舞台で時を刻む時計の中心にあるクォーツ(水晶)の波動を

正確に強く観客にぶつける。

正確で強い波動は観客の内に共鳴を呼び起こす。

かなりよい芝居でも共鳴はしだい次第に高まるような感覚のなかで

満ちていくのだが

この芝居では観客の内に確執をもたらすことなく

舞台のふくらみが静かにしかしながら一気に強く心を満たしていく。

 

罪を犯すことによって失われた感覚が

蘇っていくなかで罪を受け入れていくという

言葉にすると薄っぺらな印象しかあたえないロジック

しかしながらパンでいえばイースト菌に当たる

松たか子の凛としたせりふが、その唇からこぼれると

古田新太の包み込むような言葉に照らされて

大川の風、向こう岸の風景、その風の色、

ありもしない風が観客の頬を柔らかく撫でて

水の匂い、水面のかがやき、川辺の緑、鳥のさざめき・・・

平たい音でしかなかったその台詞たちが

イースト菌の発する想いに押し出されたように

膨らんでいく

その、ピュアで豊潤でなおかつ透き通った時間を

観客は役者とともに同じ空間に共有する。

絵空事の舞台が、絵空事を踏み出して

観客の中にあるものとして存在する。

そのひと時はまさに一期一会とさえ感じられるのだ

 

役者についてはこれだけのレベルの面子なので褒め言葉も

褒め言葉にならないような気がする。

それでもしいて気が付いたことをあげるとすれば・・・

 

松たか子は前回の野田MAP時にくらべ

感情の高め方が実にスムーズになった。

感情を強く伝える技術は前回からすでに十二分に持ち合わせていたのだが

今回の舞台では感情表現に鋭さとともに柔らかさのようなものが加わった。

また、舞台袖から舞台に上がるときにしっとりとした

輝きというかオーラのようなものを持っていけるようになっていて

それが彼女の役柄を大きく広げたような気がする。

まあ、初演時の同役、大竹しのぶなどに比べると、感情の複雑な機微の表現などに

発展の余地はあるのだろうが、今回の役に限っては、無駄な感情の表現がなかった分

英という役がクリアに演じられたのではと思う。

 

古田新太には包容力のようなものがにじみ出てきた。

役柄上、もっとひねくれた部分が

にじみ出てもおかしくないのだが、英を待たせるだけの包容力の演技に

焦点をあわせたかのような演技であり出来であった

彼にとっては当たり前の演技なのかもしれないが

新感線時代にヘビメタでローラースケートをはいて青山円型劇場を

疾走していた頃からの彼を見ている私には

ある種彼の新境地を見たような気がする

 

宇梶剛士は初見、もっと荒く強い演技をする人との印象があったが

非常に繊細な演技を見せてもらった。隠したい感情を出し入れするときの

一瞬のとまどいのような時間がよい

 

美波も初見、この人の視線もひとをきちんと捕らえるところがあって好感。

演技によい意味での遊びというかゆとりが感じられて、

それが追い詰められた彼女の演技を大きく見せていたと思う。

間違いなく大きく花開きそうな予感を感じさせる女優である

 

中村まこと、段田安則などは本当に堅実な演技で舞台を支えていたが

ふたりとも、舞台を支えながらのもう一味があって見るものを飽きさせなかった

段田が墓場で松とからむシーン、酒瓶を持った松の演技、とくに表情の作り方には

息を呑んだが、それを引き出したのはひたすら段田の台詞まわしのうまさではと・・・

同じように中村も宇梶の演技におおきな陰影をつける役割までしっかりやってのけた。

村岡希美も、舞台を十分支える役者であった。ナイロン100℃の彼女にはない

したたかな線の太さを今回の舞台では表現できていた。

 

マギー、右近健一、小松和重、進藤健太郎といったところの演技も手堅い

右近健一がいたから議論はしてもそこから踏み出さない人たちという

主役と対極の設定が成り立ったのだろうし

マギー、小松、あるいは進藤にしても単なるにぎやかしでは終わらない

印象をきちんと上の舞台にのこしていた

また、脇にいるときも攻めの目つきをしていた小松の表情が実はかなり

印象に残っている

 

野田秀樹については・・・、やはり観劇前に自分が想定したレベルと比較しても

演技はさらに旨い。最初の金貸し婆にしても英の母親にしても、

舞台にいるだけで彼の世界が構築されている。母親から将軍への変わり身の鮮やかさ、

大政奉還の上奏を行うときの会場を静まらせるような威厳。

ただ、今回、彼の芝居を十数年見続けて、初めて彼の年齢を感じた。それは想定したレベルよりはるか上の演技を見せ付けられながらも、彼の体の芯に宿っていた躍動感にかげりを見たから・・・

年齢というのは残酷なもので、やはり若い年齢でしか表現できないものがあることを感じた。ただ、それとて悪いことではないと思う。躍動感の陰りは円熟をきっと加速させてくれるだろうから・・・。

 

多分これだけの完成度の作品を見る機会というのは

一生のうちでもそんなにはないのではと思う

本当にすごいものというのは、当たり前にそこに現れて

伝説を後に残していくのである

評価

★★★★★★★★★★マイナス

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