| 日時 | 劇団名 | タイトル | 会場 |
|---|---|---|---|
’06.7月7日 |
ポツドール |
女のみち |
新宿THEATER/TOPS |
作・演出 溝口真希子 出演 安藤玉恵・佐山和泉・岩本えり・玄覺悠子・内田慈 富田恭史・鷲尾英彰・米村亮太郎 |
この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい
ポツドールの芝居の一番の魅力は、役者たちの緻密な演技力と、人間関係のリアルな表現だとおもうのだが、今回の公演でも、その持ち味を失っていない。
AVの撮影現場、女優達は控え室で時間をつぶす。
ビデオでの演技と実際の女性達の落差、そして決してディープになりえない、しかしある種の秩序が存在する控え室での人間関係、唯一彼女達に近しいマネージャーの存在、さまざまな感情がかもし出す妙にドライな雰囲気がひしひしと舞台から伝わってくる。
彼女達の表層的な建前を生かしながら、まるですりガラスの向こう側のような感じで、本音や想いがぼんやりと浮かぶ。
決して完璧とはいえない、でも性を武器にして生きていく強さや相応のしたたかさを持った女性達の姿が、デフォルメを感じさせることなく観客に提示される。
マネージャーや女優達がそれぞれに持っているプライドのようなもの、それはある意味とてもチープなものなのだが、人がタフな中を生きていくとき支えになるものというのは
きっとそういうものなのだろうなと感じさせられる。プロとしてひとつの作品を完成させていく彼女達の姿に柔らかく深い感動を感じる。
女性同士の関係の図式はちょっと複雑なのだが、それも無理に全部描こうとしない演出が成功しているのだと思う。あくまでも、その場の空気のようなものの背景に人間関係や個々の感情が見え隠れしている感じが、AVの現場という、ある意味彼女達の戦場での感情の動きをよりしっかりと浮かび上がらせ、さらには女優同士が背負っているものの本当の重さを観客に伝えることに成功していたと思う。
ただ、三浦大輔演出のポツドール作品にくらべて、観客の視線をコントロールが十分出来るほどのしたたかさがなく、いくつものシーンで役者達の本当によい演技がしっかりと観客を捕らえないままに流れてしまった感じがありもったいない気がした。真正直な演出が功を奏した部分もあったのだが、もうすこし演出に観客を導くような工夫があってもよかったのではあるまいか。そのために、三浦演出作品にあるここ一番での圧倒的な迫力に欠けていたのが惜しい
役者では、佐山和泉の演技が目を引いた。責任感の強さやそれゆえの獣姦の経験の背負い方がとても自然で彼女の物語をしっかりと浮かび上がらせていたと思う。
岩本えりもこうもりのような態度のなかに、自分の自我のようなものを忘れないという演じる役の女性がもつべきずるさや安易さのようなものをきちんと表現して好演だった。玄覺悠子も母の顔とレディース上がりの顔、さらに性具を腰に巻いたときのAV女優の顔を矛盾なく彼女の中に取り込んで見せた。
内田慈は、役をきっちりと演じた印象。ただ、きっちりと演じすぎて、他の役者の持つ舞台のなかに身を沈めるような感じが彼女だけどこか希薄に見えたのがすこし残念。但しぶりっこをしているときの表情と素で会話するときの表情や態度の作り方の落差は本当にすばらしかったと思う
安藤玉恵は、演技に一種の貫禄のようなものが出てきた。観客に向かって演技をするのではなく観客の感情をとりこんで演技をするような部分があり、また一番最後の台詞に女として男性を魅了するような雰囲気をしっかり作っていた。男達をぞくっとさせるような芝居ができる女優へと成長した証をみたような気がした
通常と多少テイストは異なっても、ポツドールとして、そのかおりを失うことなく、劇団がもつよい部分を踏襲したこの作品は、ポツドール自身にとっても貴重な体験だったのではあるまいか。