| 日時 | 劇団名 | タイトル | 会場 |
|---|---|---|---|
’06.7月16日 |
パルコ+リコモーションPresents |
開放弦 |
渋谷PARCO劇場 |
作・倉持 裕 演出・G2 音楽・渡辺香津美 出演 大倉孝二・水野美紀・京野ことみ・丸山智己 伊藤正之・犬山イヌコ・河原雅彦 |
この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい
淡くくもるすり硝子を幾重にも重ねて光を通したような舞台である
無地のキャンバスに少しずつ色が書き足されていくように、「くいしんぼう」と呼ばれる鴨の話を発端に 結婚式から帰ってきた新郎新婦の物語や、そのあたりを取材していた漫画家夫婦、さらには漫画家夫婦を担当している編集者の物語までがすり硝子の向こう側に浮びはじめる
この作品が秀逸なのは、すりガラスが次第に色を無くして物語が透明になっていく過程にまったく無理がないこと。休憩後の50分間で、登場人物たちの思いがそれぞれに重なり合ってまるで骨格標本のように姿を現わしていくのには目を見張った
そこに現れたいくつもの想いの交差の切なさをどのように表現すればよいのだろう
G2はそれぞれの思いをまるでなにかを重ねるように登場人物ひとり一人の気持ちを伝えるトリガーを丁寧に舞台の上において行く
派手さはないけれど全体をしっかりと裏打ちするような伏線、たとえば革靴のはなし、食いしん坊のくちばしが赤いことなどが淡白にすらおもえる物語をしっかりとささえて透明でありながらぶれることなく作り上げられた物語を観客に提示する。
見終わった後、心になにかが心に染み込んだような感じがして、駅までの帰り道にゆっくりそれが感動に変わっていった
役者たちも役柄が本当に心の底に抱いているなにかを本当に大切に演じていたように思う
また、強さではなくやわらかい小さな演技の積み重ねで心を観客に伝えることができる役者がそろっていた
今回一番感心したのは水野美紀で、以前「ダブリンの鐘つきカビ人間」で観たときに比べて、はるかに骨が太くなったというか存在感がある演技ができるようになっていていた。
台詞にもしっかりとした力があったが、なによりも丸山智己と一緒にギターを奏でるときの心の開き方がすばらしく、観客の胸を締め付けるようなシーンを見事に築き上げた。
京野ことみも好演で、ストレートで適度に華のある演技のなかに彼女の想いやいらだちがゆがむことなくまっすぐに表現できていたと思う。
彼女のような表現ができる女優というのはいそうでなかなかいないのではないか。
ある意味地味な役回りであるが、彼女だから表現できたものがあったと思う。
犬山イヌコはもったいないほど押さえた演技であったが、個々のシーンでの自らの存在感の出し方というか力加減が絶妙であり、自らの役にとどまらず周りの演技をしっかりと引き上げていた。
丸山智己の演技には心を折り返したような切なさがあり
抑えた心情も観客に十分伝わっていた。はまり役だったと思う。
伊藤正之は手馴れた演技で舞台の箍をきちんと締めていた。安心できる演技というのはこういうものを言うのだと思う。今回のような舞台の雰囲気のなかで、俗物をしっかり演技ができるというのは貴重なことだと思う。
大倉孝二につしては最近の安定した演技がここでも生かされていたと思う。苛立ちの表現についてはもうすこしゆったりしたところがあってもよいかと思うが、ふてる時の表情は彼ならではのもので、演技の引き際のようなものも十分コントロールされており、彼野よい面が大きく出た舞台だったと思う。彼なしではこの舞台の印象もかなり変わっていたのではないか?動きというか動作も切れていて、その切れが物語のスピードをしっかり抑制している部分もあった
河原雅彦は、一番難しい役回りだったと思うが、無難にこなしただけではなく、役に一種のペーソスまで盛り込んだ。卑屈になる部分とあつかましい部分に矛盾がないと思わせる演技はやはり河原ならではと思うし、軟弱な中にしっかりとした信念をかんじさせるキャラクターも彼だからできたような気がする
際立って目立つというわけでもないし、一生忘れないような強烈があるわけでもない、でも心に残る何かがしっかり内包された芝居・・・、良質とか佳品とかいう言葉はこういう芝居のためにあるのかもしれない。