| 日時 | 劇団名 | タイトル | 会場 |
|---|---|---|---|
’06.1月29日 |
空想組曲 |
白い部屋の嘘つきチェリー |
シアターV赤坂 |
作・演出 ほさかよう 出演 有川マコト 後藤飛鳥 山本 卓 日栄洋祐 篠崎たかし 渡辺裕樹 中村早千水 小宮山実花 中谷千絵 淺野 智 石澤美和 佐藤良幸 |
この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい
物語の作りが特に斬新というわけでもない。
一年前と現在のシーンの行き来自体、現代演劇においてそれほど珍しいわけではない。
終末の病院にしても、患者達がつく嘘の構造もけっして斬新なものではない。
物語のパーツや構造はいろいろな戯曲を想起させる。病院と少女のスキームは後藤ひろひとのミッドサマーキャロルを思い出させたし・・・。サクラの使い方もそれほど際立ったアイデアではない
なのに、この物語は今までに見たこともないような、死に対する想いや生の価値を観客に提示する。まるで満ちてくるように観客に広がる高まりのような感覚。生と死の物語が、音もなく体を満たしていくような気がする。
本当に不思議なのは物語の骨格が比較的大雑把であるのに、流れる時間の肌触りがまるで絹のような繊細さを持っていることだ。もちろん役者たちの演技に繊細さがあることも一因だとは思うが物語の構造にもなんらかの仕掛けが隠されているような気がする。
登場人物の表と裏を方法はことなるもののきちんと見せるやり方や、1時間の時間の行き来の仕方のたくみさ、隙間を設けずしっかりとつながれた場面の見せ方なども大きな要因ではあるとおもうのだが・・・・。
いくつかのエピソードはありふれていながら、しっかりと質量を持ち心の水位を上げていく。作家風の男、亡くなった彼女のことから逃れられない男・・・。そこにある死の重さに値する生を飾り立てるはかなさ・・・。さらには物語に潜むはかないぬくもりや、強さの仮面をはずした瞬間に現れる登場人物の愚直な誠実さが、けれんなくしなやかに観客の過ごす時間に折り重なり積み上げられ。桜の木の伏線につながれた物語が心に直接生きる時間の軽さと重さをそそぎこむと、後はゆっくりと溢れるような想いが舞台だけでなく客席までも満たしていく
ほさかようの才に観客は言葉を超えた感覚を注がれ、ゆっくりと浸されるのだ。
今回その感覚を客席に与えるのみ一番貢献したのは有川マコトであろう。彼は死に至る思いを露出させる触媒の役割をはたした。内向的に死に向かい合う部分の表現もしっかりとした重量があってよいが、外側に訴えかける時の実直さにはさらに非凡な強さを感じた。
後藤飛鳥の演技はしっかりと死を受け入れようとするけなげさと内側のもろさがわかりやすくしかも天真爛漫さも似合う・・、役のTPOをしっかりと捕らえた演技だったと思う。看護婦陣は総じてしっかりと色をつくって舞台を固めていた。なかでも石澤美和の清濁併せ呑むようなゆとりの表現は目をひいた。その他渡辺・中村といったところの安定感、山本の中立性をしっかりと表現できた演技にも感心した。
秀逸なものがたりの構造にそれを支えうる役者、そこにほさかは力加減のようなものを隠し味として加えたのだと思う。名作をつくるのは強い力ばかりではないことを、しっかりと証明したような舞台であった