| 日時 | 劇団名 | タイトル | 会場 |
|---|---|---|---|
’06.3月12日 |
Parcoプロデュース |
決闘・高田馬場 |
PARCO劇場 |
作・演出 三谷幸喜 出演 市川染五郎・市川亀治郎・中村勘太郎 市川高麗蔵・沢村宗之助・松本錦吾・市村万次郎 |
この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい
恥ずかしながら、本物の歌舞伎を見たことがない。正確に言うと、パートで観たことはあるのだが、歌舞伎座などでしっかりと見たことがない。
今回、パルコ劇場で、歌舞伎の匂いをしっかりと味わったとき、まず最初に思ったのは私は人生において、ものすごい損をしていたのではないかということだ。そのくらい、歌舞伎の芸や技は私にとって魅力的であり衝撃的であった。
一番感じたのは、歌舞伎の所作や台詞まわし(?)が、舞台上の物語の輪郭をしっかりと描きだす力、もちろん、ここ一番の役者の力の入れ方もそうだが、それだけではなくたとえば物語の台詞と義太夫のからみ、お囃子をつかった物語の流し方、全てが理にかなって、それまで知らない私には先進的にすらみえる。
物語のここが節という場面に声を凛と張ることにより一気に舞台上のテンションを上げてみたり、大向こうから声がほしくなるほどの高揚を作り上げてみたり・・・
伝統芸能が持つ優美さも確かにあるが、実際に体験した歌舞伎の役者たちは、観客に対して挑むような強さがありイメージを伝えるやり方の攻撃的なところが非常に新鮮に思えた。
三谷戯曲も、今回は編みこむような作劇ではなく、役者が力を入れることができる部分をしっかりと作った趣がある。ちょうどパチンコ(鳥を落とすやつ)のゴムというか弓の弦をしぼるような感じで前半を作り、後半その力を一気に解き放ってみせた。
前半の世話物調の部分にはくすぐりをいれながらも、主人公の人間性をけっこう結構確りと描いていて、それが歌舞伎手法によって語られることにより、普通の演劇舞台よりさらにメリハリがついて観客につたわってくる。舞台の空気をつくるというより舞台に物語の輪郭を太く描いていくような手法は、役者自身が持つ熱のようなもので立体的に膨らんで観客を包み込んでいく
圧巻なのは後半で、主人公が走る。主人公の長屋の連中も走る。その走りっぷりが劇場全体を沸騰させていく。長屋をでるときの姿のよさ・・・。絵になるというのはこういう姿を言うのか・・・。そして走り始めると観客は歌舞伎の技法に、揚げられひっぱられころがされてしまう。迫に6人の役者が上がり始まった走り姿は美に通じる力強さと速さがあり正直、体の血が沸き立つ気がした。手玉をとられるようにとはこのようなことをいうのだろうか・・・
走りはじめるその姿が大きくいえるのもやはり芸のなせる技か。染五郎にしても勘太郎にしても、なにかから解き放たれて水を得た魚のように舞台を走り回る。その走り方の躍動感、まるで風切る音まで聞こえてくるような疾走感・・・。染五郎が走り始めると舞台全体が揺らぐような錯覚さえ感じる。それは体の動き、音が一体となって観客を攻めるようにすら見える。
放たれた弓のようなスピードを舞台空間にもちこむ役者の技量と力量、そしてそれをなしえる体力・・・。
価格もそれなりにするので気楽に見にいけるものではないが、非常に良質なミュージカル、たとえばプロデューサーズを見たのと同じような感覚にとらわれた。これは病みつきになる。
最後のシーンの美しさも筆舌に尽くしがたいものがあり、本当に幸せな気分で劇場をあとにすることができた。時間の長さも忘れて舞台のスピード感を十分に楽しんで・・・。拍手をしてもしてもまだ足りないような感覚・・・
舞台をみる幸せが確りと含まれている作品を歌舞伎の手法が確りと支えて・・・。
落語の芝居噺で取り付かれる市井の登場人物の気持ちがわかる・・。私のような貧乏&歌舞伎素人からもこれからがんばって歌舞伎を見ようと意欲を引き出しうる、魅力を持った一作であった