日時
劇団名
タイトル
会場
’06.9月30日
オリガド・プラスティコ
漂う電球
本多
劇場
作:ウディ・アレン
訳:
演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演
岡田義徳 高橋一生 伊藤正之
広岡由里子 町田マリー 渡辺いっけい
この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい
劇評
stage review 2006
評価
★★★★★★★★★☆
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非常に抑制が効いた舞台である。
物語自体が上へと大きく膨らむようなものではなく
むしろ日々のなかの小さな出来事が
雨粒のようにじっくりと地面に染み込んでいくようなものだから
すこし押し殺したような時間の流れと
膨らみすぎない役者の感情表現がとても効果的で
結果として舞台をどこかさびしさをもった、
でも豊かで、ふっとため息が漏れるような
空間へと昇華させた。
ウディ・アレンの台本は夢の大きさをその人が持つ現実との対比で
描いてみせる。
日々の生活から逃れるためにくじが当たる事を夢見る旦那に
毎日の生活の中でIQの高い息子に夢を託す妻、
息子たちは学校になじめずそれでも
なんとかあがくように現状を打破しようとしている
そこにやってきた夢がはかなく崩れていく顛末は
その夢を見た人に似合ったはかなさがあって
自分を見つめることを忘れていた妻が
とあることで別の自分の姿を見出して
その夢はすこし大きい分揺れるように消えていく
極貧というほどでもなく、なんとかぎりぎりで食べていける
そんな生活のぬるさとそこにいつづけることの厳しさ
ケラの演出作品のなかでこれほど原作のテイストをふくらませたものを
私は知らない
まるでケラの世界がウディ・アレンの世界とオーバーラップしているよう、
物語がケラワールドに引きづられることもなく、
極限まで思いが追い詰められることもなく
冷たさがさらに凍りつくこともなく
やわらかいままの切なさで劇場が包むことによって
語られていく
それの美しさは、これまでケラの作品が内包していた
美しさに他ならないことに驚いた
もともと広岡・ケラのユニットだけに
広岡の出来もすこぶるよい
後半の渡辺いっけいとのシーンには
見るものが息をこらしてしまうほどの高揚感と失望があり、
しかも彼女独特のトーンは時に大きなパワーとなって
見るものの心を浸潤していくようにさえ感じた
渡辺いっけいも、最後まで広岡にひきずられることなく
舞台のトーンを高まりと収束へ導く役割を果たした
岡田・高橋も好演でそれぞれに持ち味を充分に発揮できていた。
高橋は、ぐれきれないというか心根に持つやさしさのようなもの、
ある意味徹しきれないぬるさのようなものの表現が
非常に効果的であった。
それは岡田が非常に弱い感じでありながら、どこかに頑固な部分を
見せる演技を見事に受け止める
全体に沈んだトーンのなかでそれぞれの個性がしっかりと表現されたからこそ
広岡や渡辺の演技が導き出されたと言える
ぬるさの表現という点では父親役の伊藤正之も観客を納得させる演技であった
ネクタイを着られたり息子に小銭をせびられたりするときの
彼の表情にはしっかりとした愛情と生活があって
そこにはまだ1945年の古きよき時代のだめ父親像が浮かんでいた
町田マリーも同じ、やはりどこかにぬるさというか、夢があって。
それがちんけな夢でも誰かを思う誠実さがきちんとのこった演技であった
この作品にはケラ一流のデフォルメがない。
それでもこの作品にはケラのかおりがする不思議・・・。
物語がもつある種の絶望とケラの作品に内在する行き場のなさのようなものが
共鳴したような・・・
異色ではあるが、ケラ作品の化粧を落とした姿をみたような思いがした