| 日時 | 劇団名 | タイトル | 会場 |
|---|---|---|---|
’06.10月18日 |
劇団本谷有希子 |
遭難、 | 青山円型劇場 |
作:演出 本谷有希子 出演 松永玲子・つぐみ・佐藤真弓・吉本菜穂子・反田孝幸 |
この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい
才気に満ちた脚本である。
才気は走るものだから気は奇に走ってしまうこともままあるものだが、
気はしっかりと樹となり枝葉をつけて観客の心に影を描く。
影は光と見事に対比をつくり、
そのアラベスクのなかに自分がかわいくてしようがないひとりの女が浮かび上がる。
女は周りの弱さを見抜き自らの強さに溺れる。
強いものは弱く弱いものは強いものを責める。
2時間強の芝居において、前半、登場人物の価値観の落差を笑い
唐突な登場人物の行動に唖然としていた観客は、
後半登場人物が見せる狂気にまっとうな存在の理由があることを知り、
最後にその女の存在が舞台上に突然現れた奇異なものではなく、
必然を持って目の前にいることに気づくことになる。
その女には作者自身の息遣いが感じられる。
他の登場人物からは浮いた存在であるにもかかわらず、
他の登場人物とのかかわりの中に価値観を見出す弱さのなかで
他の登場人物がもつ殻の内側を暴き出すような強さを
持っている
弱さと強さ、教師と生徒、あるいは母親と女といった
一見対比にも見える言葉から
良識の下に隠された真実が浮かび上がって、
その女の狂気は自分がかわいいと思う人間のなかでは
当たり前であることに観客は気づかされる。
そう、多かれ少なかれ自分がかわいくないひとなんていないのだ。
だからこそ観客はその狂気に魅入られるのだ
舞台上に勢いがあるのがよい。
勢いは登場人物が安易に自ら吐露してしまう内心や、
保身をすることに費やしたあざとい言葉たちの陳腐さを
吹き飛ばしてしまう。
その上勢いは舞台上の淀みを消し去り、
登場人物があいまいに隠す狂気を白日のもとにさらけ出してしまう。
開かれているようで実は閉ざされたその空間のなかで、
それぞれの登場人物のもつ自らを守るためのロジックは弦のように絡まりあい、
時には互いを支え時には突き放す。
物語を動かすための少しのデフォルメ、
登場人物の真実に何かを足して何かを引いて、
やがてゆっくりと溶岩のように流れ出すそれぞれの思いの向こうに、
本谷の息遣いまで聞こえてくるような錯覚にとらわれる。
本来ならドロドロになってしまうような物語が非常にクリアに観客に伝わるのは、
役者達の勢いに加えて本谷の構成力のなせる技で、
それは必要をこえるほどに非凡である。
役者たちが自らに課せられた役柄を十分に表現しうる骨格のようなものが
この芝居には存在していて、
しかも骨格はシーンごとに色や形を変えていく。
骨格どおしの重なり方、連続性、その骨格にのっとった役者達の正確で力を持った演技は
見るものによけいな負担を一切与えず
物語の核心に目を向けさせる。
青山円型劇場の尺をしっかりと意識したような表現の強さや
物語の大きさ、さらには、演出の透明感、
まるでティーンエージャーの遊びのような部分と老獪な貴婦人のような部分が
同居するような芝居のテイスト
観客はただ圧倒されるしかないのである
松永玲子は本谷の要求をしっかりと満たしたと思われる。
ある限界を超えたような演技は息を呑むほど鮮烈で、
舞台と観客を一体化させるのに十分な力を持っている。
なおかつ全ての演技が彼女の手のひらにしっかりのっているのがよい。
ぶれがなくクリアな人物像を構築して見せた。
つぐみは同じトーンのなかで弱さと強さの両方を演じなければいけない難しい役どころだが、力をしっかりとコントロールした着実な演技で
そのニュアンスはまっすぐに観客に伝えた。
吉本奈穂子は狂気と対比するべき基準点のような役割でもあるが、
座標としての重みを普通をしっかりと演じ切った。
佐藤真弓も開放された時
隠しているものが無意識に出てくる感じに
このひとの役者としての十分すぎる力量を感じた。
反田孝幸も典型的な教師の雰囲気を狂気の中でもキープできていた。
それぞれの役者の演技に無駄がないことにも感心した。
なにかを削ぎ落としたとすら思える
無駄のないまっすぐな演技の連続が舞台の勢いを作り出したような気もする
本当によいお芝居というものはもたれたりしない。
すっと体に入って観客の心を支配する。
久しぶりに芝居の浸透圧が私を奔流にまきこんでしまった作品であった