日時
劇団名
タイトル
会場
’06.12月3日
ポツドール
恋の渦
THEATER TOPS
脚本・演出 三浦大輔
米村亮太郎 鷲尾英彰・美館智範・古澤裕介・河西裕介
遠藤留美・内田慈・白神美央・小島綾乃
小林康浩
この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい
劇評
stage review 2006
評価
★★★★★★★★★☆
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シェークスピアのマクベスの冒頭に
「きれいは汚い、汚いはきれい」という言葉がある。
そこには見えるものと実際の乖離の面白さとおぞましさが共存しているのだが、
今回のポツドールの公演は、この言葉を地でいったような物語だった。
ある意味どこか怪しく、強がり、時にはぶつかり合っている不器用な男たちと
従順で男たちを思いやるような女性たち。
とあるパーティで集った8人の男女が
その後3週間を断片的に時間を切り取りながら描いたこの舞台は
単に男女の関係性にとどまらず、個々の登場人物の持つ
建前と本音を見事に浮かび上がらせて見せる。
それも、ステレオタイプな人間描写を役者にさせるのではなく、
個々の個性がにじみ出るような
演技で複雑に絡まりあった関係性を表現させる
なかできれいなものと汚いものの正体を具現化させていくのだ。
散々強がって見せる男たちの子供のように純真な本音、
やさしさ、みるからにうざい男の一途さ、
天真爛漫に生きる女の孤独、
純真を建前にする女のしたたかさ
、「きれいは汚い、汚いはきれい、
でも、きれいとはいっても白はすすけて、
汚いといっても本当の黒ではない」
みたいな世界が極めてリアルに観客の前に浮かび上がっていく。
三浦台本は相変わらず非常にしたたかで、
場違いにウェルメイドな演劇すら想起させるほど。
しかし、その台本を生かしたのは
役者一人一人の非常に緻密な感情表現だった。
観客にデジャブーを感じさせるほどよくできたエピソードも、
スムースに観客に伝えるためには
与えられたキャラクターに見合った表現力がかかせないのはもちろんのこと。
ただ表現力が問われるのではなく、舞台から客席に溶け込んでいくような力加減が必要とされる。
観客にある種の一体感を共有させることで、
初めて舞台に存在する登場人物が現実を凌駕して浮かび上がってくる。
強い演技より、本人がにじみ出るような芝居が求められて、
なおかつ役者たちはしっかりとその要求にこたえていたと思う。
女優陣だけみても内田慈の演技からゆっくりとあふれ出す孤独、
遠藤留奈が背負う想い、白神美央のまともさや
小島綾乃が演じ切ったしたたかさ
男優陣にいたっては彼らが内包する想いが、
さりげない仕草や言葉からむせ返るほどに溢れてくる。
それらをまるで綾織のように組み合わせて、ひとつの世界を作り上げた
三浦の才能にはただ敬服するしかない。
本当の黒になりえないものと本当の白より汚れているものを表現するのは
純粋な白と黒を表現するよりはるかに才能と労力を要するということだと思う。
たとえば今回のポツドールのように・・・。
まがい物より汚れた白やくすんだ黒のほうが、
純粋な白や黒よりもはるかに深い色合いに見えることもまた事実。
その深さを出すだけの才能が努力によってしっかりと支えられた舞台だったし、
努力や才能の果実を観客は十分に味わうことができた。
言葉を変えれば
すばらしい果実の舌触りはさりげなく、
ゆっくりと体にしみこんでいくものなのだと、
今回久しぶりにおもいおこさせるだけの力量をもった舞台であった。