| 日時 | 劇団名 | タイトル | 会場 |
|---|---|---|---|
’07.2月20 日 S |
オッホ |
ナーバスな虫々 | シアタートップス |
| 作・演出: 出演: 人見英伸・吉田麻起子・花田薫子 青山隆之・佐藤志織・珠井江都子・住友大気 三木香澄・森田ガンツ |
この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい
オッホは初見である。
力加減がいい。登場人物の描写、心の動きの表現、物語の進め方・・・。すべてが少しずつデフォルメされているのだが、そのときの力加減が絶妙なのだ。
役者たちが一番機能する力加減で一つの部屋での物語が構築されていく。そこには奇をてらったところがあるわけではない。舞台上にあるのは平凡な生活の一部であるはずなのに、きちんとドラマが存在する。しかもドラマがト書きで語られないのもよい。役者たちの動きに支えられてやわらかくにじむように物語が展開していく。
強いメッセージ性があるわけではないけれど、ふっと観客の生活が投影できるような空間が構築され、言葉にならない想いのふくらみが観客の心に宿る。登場人物はだれひとりせりふで心のコアにあたる部分を吐露しない。言葉にするとたった一言で表されるであろう何かを役者たちは丁寧に演じていく。そしてこの芝居の持つある種の芳醇さが生まれる。
この芝居が何を主張したのか。この芝居にはどのようなメッセージがあるのか。そんな形で芝居の価値を問いかけるとすれば、回答は非常に難しいと思う。しかし、観客が持ち帰った想いや感情は確実に存在する。言葉にたたむことなくひとつの結末に詰め込むことなく、役者がゆっくりと膨らませて言った世界が確実にある。観客がそこに触れるときこそ、芝居をみるという行為の豊かさを観客が体現する瞬間でもある。
役者達はそれぞれにしっかりと持ち場を守った感じ。人見英伸は地味な演技だったが芝居の軸をしっかりと支え切った。その芝居は森田ガンツの演技を生かしたと思う。森田ガンツも頑固なほどに自分のトーンを守り通して舞台の奥行きを作った。青山隆之には切れがあった。清水宏を思わせるような風貌と切れは人見と対極にあって双方のコントラストが
観ているものを舞台にひきつけてくれた。住友大気も、実はバワーのいる演技だったと思うが貫き通した感じ。
女優人では花田薫子の怪演がまず目を引いた。ありえない存在感がとてもナチュラルに舞台になじんで、物語をはじけさせていた。吉田麻紀子も好演だったと思う。強い言葉にはやはり非凡な力があり、一方で淡い恋心のようなものはせりふに頼ることなく表情や態度でしっかりと表現できていた。
珠井江都子は意図せぬずるさの表現に成功はしていたが、もうすこし伸びやかな部分があればさらにずるさの説得力が広がったような気がする。三木香澄はしっかりとしたたかさを表現できており、なおかつふっと見せる悟りのようなものが魅力的であった。さらに少しだけ影の部分の表現もできていればパーフェクトか・・・。
佐藤志織は演技の力加減が抜群。自分のことを話すときや物事を善意に解釈するときの鈍い輝きのようなものが非常に印象的だった。
観終わって、芝居のコンテンツと裏腹にとても研ぎ澄まされたものを観た気がしたのは、演出のバランス感覚が非常に洗練されていたからだと思う。ここまでは舞台のバランスをくずさずに表現を広げられるみたいな感覚が抜群で、結果として観客はある種のテンションをずっと感じ続けていたのだと思う。物語の運び方といい役者の表現といい、気がつけば舞台の世界に観客を引き入れてしまう何かを持っていて、しかもその何かを観客に意識させないまま引き入れてしまうところに黒川の力量を感じる。
舞台のしたたかさはいつも、観客を満たす、すてきなツールになりえるのだ。