| 日時 | 劇団名 | タイトル | 会場 |
|---|---|---|---|
’07.3月09日 S |
KOKAMI Network |
僕達が好きだった革命 | シアター |
| 作・演出 鴻上尚史 出演: 中村雅俊・片瀬那奈・塩谷瞬 森田彩華・GAKU−MC・大高洋夫・長野里美 影山泰・菅原大吉 田鍋謙一郎・澤田育子・武藤晃子 今村裕次郎・藤榮史哉・柳橋朋典・幸田絵里・田実陽子 渡辺淳・木村悟 |
この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい
パーフェクトかといわれると、決してそうは思えない。物語に無理がないかというとちょっと苦しい部分もある。昔の鴻上演劇ではけっしてありえなかったような散漫な部分もけっこうある。
未来の母親を演じる長野里美は、安定感のある演技力をペリコプターにゆだねなければならないほどもてあました。その力や与えられたキャラクターとうらはらに書割のような母親像しか演じさせてもらえなかった。それは間違いなく片瀬那奈の最後のシーンを半分近く殺した。
大高洋夫にももっと表現させうるなにかがあったような気がする。影山と大高、さらには田鍋、澤田の関係の描き方もやはり書割にちかい。彼らの表現が薄っぺらくなった分物語が平板になってしまった。
芝居としての全体のトーンはやや軽め。開演前の導入の部分や、インターミッション後の芝居への入り方あたりもよくできていると思う。しかし、昔の第三舞台と今回のトーンの軽さには明らかな違いがある。わかりにくいとか客を選ぶとかいわれながらも物語にしっかりとした切れがあり、シーンのひとつずつが宝石のように輝きを持ち、さらに役者が極上のナイフのように切れていて・・・。それらがひとつの焦点を照らすことによって創出されるなにかが昇華するような軽さと、その今回のトーンの軽さはまったく別物である。
あのころの鴻上が作り上げた世界はもう戻ってくることがないことを再認識させられた。
それでも、この芝居には魅力がある。ひとつには鴻上が一時の作品に見られる混沌から開放され時代を冷静に鳥瞰する目をとりもどしたことが大きい。複数の時代をとらえる、ある意味冷徹とさえ感じられる視点がこの作品をしっかりささえていた。1969/1999/2007の時代感覚の差異がしっかりと整理され、それらの世界の乖離が描かれる中で源流に眠る人の心の普遍性がしっかりと浮かび上がった。
普遍性の表現については、アジ演説とラップのコラボレーションのシーンが非常に秀逸である。そこにはしっかりとしたベクトルの一致が提示され、1969と1999をたたんでひとつに重ねたような感覚がしっかりと観客に伝わった。この感覚は驚きでもあった。その前に中村が歌う「私達がのぞむものは」から伝わってくる熱も効果的だった。この普遍性に対して観客たちが潜在的に持っていた共感の素地をみごとに作り上げた。二つの時代をつなぐリングを見つけ出し提示して見せた鴻上の慧眼は評価されるべきものだと思う。
コアの部分がしっかりとあったので、鴻上芝居が持つエンターティメント性にも良質なクオリティが戻ってきたように思う。時代間の言葉ギャップを笑うやりかたやCMネタをてらいもなく取り込むやり方に一時のような媚が無理がなくなったのがよい。すっきりとしたコアがある芝居はよどみを内包するような笑いを許さないということなのかもしれないが・・・。
結局、すべては鴻上が時代を冷静に分析する力が戻りつつあることによると思う。それもただ時代を見る力が戻っただけではなく、時代の表情とその流れにかかわらない時代を超越したコアのような部分を切り分けて判断することができるようになったことが、芝居のすべてを良いほうにまわす原動力になっているような気がする。
カーテンを多用したシーンの流れや、物語を流すテンポ。歌やシーンをはめ込んでいくセンス。言葉や歌詞にたいするインパクトの与え方・・・。それらにも演劇としての円熟した技術でありながら一方でふっと引き込まれるような斬新さが見られる。
全体としてふりかえると、「まだクオリティはあがるだろうに・・・」という感じはするのだが、この鴻上なら次も見たいなと思ったのも事実。昔の第三舞台チケットに並んだときのわくわく感をひさしぶりに思い出してしまった。
役者についていえば、大高洋夫の強い表現が持つ力のすごさにまず圧倒された。長野里美は器用さを良いとこ取りされた感じもするが、それをこなせる力に敬服した。菅原大吉も観客がそのままゆだねることができる安心の演技だった。
中村雅俊はとにかくキャラクターを押し続けるしかなかったのだとおもう。それでも懐の深さのようなものがしっかり浮かび上がり彼の役者としての能力を感じた。
片瀬那奈と塩谷峻はともにくっきりとした目鼻立ちの演技ができるところが強み、それが
田鍋健一郎や澤田育子が仕掛ける手練の演技に流されなく物語を回していく力になっていた。武藤晃子はちょっと使われ方がもったいない気がする。森田彩華は演技の強弱がもう少しだけほしいところ。ただし、彼女にはやわらかさや弱さをしっかり表現するような雰囲気とそれをまっすぐに伝える天性のなにかを感じるので演技もそれを引き出すように抑えているようにも思えた。
他の役者ももれなく好い印象で、ひとりひとりが背後でしっかりと演技をしているのを見るにつけ舞台の贅沢さのようなものを感じた。それだけに、主たる登場人物の描き方の浅さが余計気になったりもしたのだが・・・。
まあ、多少の不満は残るものの、2時間40分の上演時間(休息含)、一度も観客の集中を切ることなく舞台を見せ切った鴻上演劇には間違いなくある種の輝きが宿っていたことは事実。
次を期待できることは観客にとってもとても幸せなことなのである。