| 日時 | 劇団名 | タイトル | 会場 |
|---|---|---|---|
’07.3月11日 M |
空間ゼリー |
ゼリーの空間 | シアターグリーン Box In Box |
| 作:坪田 文 演出:深寅 芥 出演: 斎藤ナツ子・岡田あがさ・冬月ちき・下山夏子 細田喜加・河野真衣・佐藤けいこ・榎本万里子 龍弥・千葉伸吾・相葉健次 |
この文章にはいわゆるネタバレがあります。ご了承のうえお読み下さい
最初、役者の演技が始まったとき、実は少し不安になった。90分の上演時間を維持できるのかとおもったのである。それは冒頭の会話に間が少なく、通常の演技からみると走っているとも思えるせりふまわしが原因だったのだが・・・。まったくの杞憂だった。たちまち、そのせりふ回しは物語のなかで機能をし始めることになる。
当初のシーンはやがて土曜日の午前、学校に集まった女子校生の群像劇に発展していく。
その導入部分から観客の興味をしっかりつかむ工夫が随所に見られる
卒業アルバムの写真を選ぶ作業を媒体に、集まった8人の個性がそれぞれ明らかになっていく。
ときにははっきり明示され、時には隠される個性たち。
舞台上の時間が進行していくなかで気がつけば観客の時間は舞台と同調して流れ、
観客は彼女たちの空間にとりこまれている。
最初少し走るような台詞回しですら日常として観客に受け入れられていく。役者達の声の大きさ、小さな仕草、会話の内側はもちろん外側にある役者達の表情・・・。伏線が解かれることが、さらに次への伏線となっていく作劇の巧妙さ・・・。
しかもチョット目には冗長な台詞や動作のすべてが、無駄なく彼女達を表現していく。ひとりひとりの表現に手を抜かれることはない。そう、白紙のカードに色をつけながら精緻にならべていくよう・・・。そして、色がつけられ並んだカードの重なり方で、そのクラスに2ヶ月前なにかがあったことが、じんわりと観客に提示されていく。
起こったことが実際に提示されるのはその教室に担任とともに教育委員会の担当が現れてから・。かれの出現で、並んでいたカードが一気に裏返って過去の出来事が観客にさらされる。まるで重なっていたカードが一気に裏返されるように・・・。そのシーンはとても力強くそれまでの伏線のいくつもが解かれていく。衝撃的なシーンでもある。しかしながら、それも物語の過程でしかない
そこからマグマのように内に隠れた彼女達間の関係が、見事に舞台上に浮かび上がる。ひとつの集団という容器のふたをはずして初めて見えた彼女達の内なる区分け・・・。サバンナの食物連鎖のような空間とそこに暮らす生き物達の関係がしっかりとした説得力をもって観客に提示される。
しかもふたをはずした教育委員会の担当も狂言回しにはなりえない。彼のカードもまたひっくり返される。彼もまたその空間の食物連鎖のなかにあることが鮮やかに示される。
明らかになった事実を前にして、カード達はいくつかにまとめられる。しかしいったん裏返されたカードはもとに戻されても、その図柄は手品の結末のように、もはや当初のものではない。カードの本当の姿やそれぞれのカードの配置がそれぞれの考え方が、今度は一切隠蔽されることなく演じられる。緻密に計算された物語は、空間でのさまざまな終焉をすべての伏線の帰結として見事に観客に提示する。真の姿とその行く先が鮮やかに観客に示される。
それにつけてもラスト数シーンのなんと秀逸なことか。何度も流れていた踏切の警報音や電車の音が、最後にこれほどの表現を導くとは・・・。さらにずっと壁にかけられていたどこの教室にもあるものにこれほどの説得力のある小道具になろうとは・・・。
斎藤ナツ子の視線が強い印象を観客に焼き付け、暗転で幕を閉じる。それは登場人物ひとりずつの実に丁寧な描写とそれらを動かすスキームの卓越した物語の構成がもたらした瞬間。奇をてらわず、大きさにデフォルメを加えることなく、等身大の演劇のなかでこれだけ深い閉塞感についての描写をなしえた坪田文の才能には瞠目するばかりだ。また、ストーリーテラーとしての坪田にも大きな魅力を感じる。彼女は物語を話す手順を知っている。手順を間違えると消して見せることが出来ない世界を、坪田はここしかないというような狭い隘路を潜り抜け見事に観客の前にさらして見せた。
演出の深寅の貢献も大きいのだと思う。これは観客への語り方を知っている坪田の勝利でもあると同時に、
観客への見せ方を知っている深寅の勝利でもあると思う。舞台上の緊張感のコントロールが物語にさらなる
インパクトを与えた。
女優陣の中では細田喜加が一番安定していたような気がする。せりふのトーンにしっかりとした抑制と切れがあり、役柄に求められる女性としての雰囲気もきっちり作り上げ、難しいキャラクターを見事に描ききった。余談だが、彼女が作曲を担当したした音楽も、この物語すべてを抱きかかえるような包容力に満ちていた
冬月ちきの演技にも細田と同様の安定感があり、舞台上のブレというか拡散のようなものをしっかりと吸収する役割を担いきった。彼女の役に求められる硬質な強さを力むことなく演じていて
それが観客への存在感につながった。
佐藤けいこの演技も安定していた。また彼女の演技には言葉だけではなく小さな動作や表情でキャラクターを伝えきるような力がある。天性のものだと思うのだが、彼女はそれを十分に生かし
きった。
榎本万里子にも人をすっとひきつけるような天性の力がある。ただせりふの運びや間のとりかたへの習熟がもう少しほしいところ。しっかりと出来ているところとそうでないところに若干のムラが感じられた。
下山夏子にも良い意味での強い個性がある。序盤から中盤にかけては感情の出し入れ的な部分ですこし演技にもたつきがみられたが、終盤の演技には観客をしっかりと釘付けにするだけの強さと説得力があった。最後の電車の音の演技が強い印象を与えたのは、彼女のリアクションの力も大きかった。
岡田あがさの演技には実存感がある。また舞台に占める存在度のコントロールも非常に上手で舞台のトーンをしっかり支えた。すこしだけ台詞が走る部分があったが、これは演出に
よるものなのかもしれない
河野真衣の演技はとても誠実で実直だった。内面の吐露に大きさがあるのがよい。教育委員会がらみのシーンでの彼女の動きや表情は目立ちにくいのだが後から思い出してみると本当に秀逸で、それが終盤のエピソードに強い説得力を与えることになった。
斎藤ナツ子は小さな台詞において強弱にかけることもあったが、ここ一番のシーンでの彼女の演技には細かくコントロールされた強さと高揚感を感じた。彼女は台詞がもつグルーブ感を見事に抑制して冷静さを演じきった。また、最後のシーン一瞬の表情は芝居全体をぐっと持ち上げるほどの力を持ち合わせていた。
男優も適材適所であった。龍弥には男がみても役柄が持つべきスタイリッシュな魅力がある。
千葉伸吾も役柄に匹敵する誠実さを見事に構築した。ある種の鈍感さを演じきったことで役柄に幅が生まれた。
相葉健次にはすこしだけ役柄から浮いた部分が感じられたが、怪演の部類だったと思う。怒りの高まりも自然で斎藤の演技に力を与えていた。
要は物語を構成するに十分足りる役者たちがしっかりと演技をしているのである
緻密な登場人物の表現。個人と社会の二重構造を見事に白日にさらけだす物語の構築力。
息を呑むような緊張感を持つ芝居には何本もめぐりあったが、
この芝居にはまた別格ななにかがある。
坪田文の才能がいったいどこまで開花するのか・・・、深寅芥の力ももっと見たい・・・。
帰りの電車ではそんなことを考えたりもしたのだが・・。
少なくともカーテンコールでの役者達の誇らしげな表情を見て、そのあと受付や出口に並ぶ
舞台で見るよりずっと華奢でナチュラルに美しく可憐な女優達を見たとき(例外なく全員
本当にきれいだった)舞台上の彼女達が本当に大きく見えていたことを悟り、
その舞台がいかに力を持っていたかに気がついた。
で、劇場を背にしながら空間ゼリーに対して浮かんだ言葉は「恐れ入りました」の一言・・・。
次回作はまだ未定のようだが、期待は大きい。
どんなことをしても見に行きたい劇団が、またひとつ増えた